あることで、落ち込みました。


家に帰ってから、やっと涙が出てきました(笑)


人のたくさんいる場所や道では
「残念」は出てきたけど、そこどまりでした。


そして、家に帰ってやっと
「悔しい」が出てきて、
そのあと、「悲しい」が出てきました。
悔しい、より、悲しい、やな、
と落ち着きました。


そしたら、目の蛇口が開きました。


それと同時に体の緊張がゆるんで、
操り人形のように上から私をつっている
ピアノ線がぷつんと切れたような感じになりました。


「ああ、悲しいんや・・・」


ちゃんと落ちよう、
と気持ちの中で下を向きました。


「でも、頑張る!」は今はいらんなあ。。。
と素直に感じました。



脱力して、言葉のない、
静かな世界に直行していきます。


でも、でも、って
自分を励ます言葉も浮かんでこないのです。


以前なら、たくさん浮かんできたし、
悪者になってくれる他者や環境?とかを
探すのに、頭の中がとても忙しかったです。



今回は、「でも」も「励まし」も
他者を責める「あなたメッセージ」
も、なーんも浮かんでこなくて、
身軽に?重力に任せて、
まっしぐらに落ちていけました。


気付いたんですが、こういうのって、
下降するときのパラシュートの役割をもっている
のかもしれませんね。


真っ逆さまに重力を感じながら落ちるって、
やっぱ人って本能的にこわいから。


自分をかばうために、
一生懸命なんですね。


そして、心配する周りも、
パラシュート投げてくれる人がいるわけです。


優しいなあ。


でも、今回は、
真っ逆さまに落ちる、
それがとても心地よかったです。


正確にいうと、自分の中で、
頭を下にして真っ逆さまに落ち続けていく
女性の絵が浮かんでいて、
それを再生しながら、
一緒に落ちていく気分になっていくのが、
どうにも気持ちよかったのです。


確かジブリのかぐや姫にそんな場面があったような。。。

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そのあと、
ようやく息子のこの記事の姿を思い出しました。


彼はちゃんと落ち込むことの先輩だなあ、
とふと感じました。


いつも、おいおい大丈夫か!というくらい
荒れた姿を見せてくれるのに、
また、立ち直って練習するのです。


その姿はさながらジェットコースターのようです。


おそらく私の感じている3倍くらいの重さの
巨大な石にいつも踏んづけられているくらいの
つらそうな姿なのですが、
必ず、言葉や態度で吐いて数秒から数分くらいで
復活するのです。


全力少年、かっこええなーと
あらためて気づきました(^.^)