『お兄ちゃんが勝ったときは
僕も一緒にご褒美がもらえるような気がするの。
でもそうじゃなかったから、
泣きたくなっちゃった。』

ある番組できょうだいの研究をやっていました。

上のセリフは、
幼い弟が兄とは敵味方に分かれたチームで
ゲームをして、
兄チームに負けた時の弟のもの。


番組では、男兄弟は互いに対抗心を持ちやすい、
とコメントがありました。


でも私は、単純にこの子がお兄ちゃん大好きで、
兄と自分を分離する感覚があんまりなかったから、
戸惑って、寂しくて悲しいんかな〜と感じたんです。


弟君は、兄と共同作業をするとき、
とても嬉しそうだし、
兄がリーダーシップを取っているスキマを
上手に立ち回って、全体を見ながら
自分の役割を嬉々として果たすという
ナイスプレーをしていました。


そんな時って、兄と大きな輪に一緒に入っていて、
相手の喜びは自分の喜び、だったりするんですんね。


私もお兄ちゃん子でしたから、
覚えがアリアリです(^^)


大きな一体感の中で
自分ならでは、の役割を自動反応的に探し、
自分を活かしつつ、全体が躍動する。


そんなことが、何より大好物で、
小さい時は
きょうだいや近所の子達と遊ぶ日常の中に
たくさん、それも容易くあった気がします。


基本は今もあまり変わってないな〜
と思います。


自分が、というより、
みんなで何かをする。
そこで全員がパチっとハマって生き生きする。


そんな景色が大好き。


ただ、自他分離という観点からすると、
この一体感、相反するように見えるかも知れない。


だけど、自分と他人は別で、
ひとりひとりが違う存在だと心底気付いた時に
いろんな組み合わせの可能性に気づく
っていう、新しい世界がある。


違うと気付いたところから始まるミラクルは
半端ない。


あと、子供の頃と今が違うのは、


イヤならイヤで、自分に正直にいることも
ちっぽけな一体感より大事だな、
と感じることです。


何がイヤで、こうならいい、
ってのを持ち寄って、
ゼロベースで話し合うことができたら、


出来上がった形がどんなものであっても、
はじめの自分の理想と違っても、
見た目バラバラでも、


共に生きるっていう一体感はあると思うんです。