人の好みはそれぞれ。
蓼食う虫も好き好き。

これは、よく聞くし、
本当に心底分かってるかは別としても、
誰も反対しない、と思います。


問題はこっち。


自分がイヤなことは、
他人もイヤだとは限らない。


結局、蓼食う虫も好き好き
と同じことなんだけど、


自分がイヤという感覚を持っていることについて、
何故か自分のフィルターがいつも正しいと
無意識に思い込んでいて、


聞いて見なければ分からないことにまで
自動で拡大して適用する、をやっている
自分を発見しました。


多分ね、

自分がイヤなことは人にもしない、
という教えがあるから、だとは思うのですが、
これは、ザクッとした教えであって、
百パーセントいつでも正しいわけじゃない。


とは言え、人に不快な思いはさせたくないもので、
ついつい、無難に見積もって
最大に安全策をとってしまうのかな。


だから、このことについ数年前に気づいて
腑に落ちた時はびっくりしました。


なんの話かっていうと、私は、
時間に縛られた定型仕事がキライなんです。


何故なら、
まず定型だから、出来て当たり前と思われたり、
誰がやっても同じだと思われるのがイヤ。
かつ、クリエイティブの楽しい余地がゼロで、
お客さんと対話して作り上げる触れ合い感もない。
そして、
時間、日程が決まっていて、融通が利かないのが
更にイヤ、なのです。


ですが、ある時、
私にとって全くいいとこ無しのこの種類の仕事を
嬉々として引き受ける人が
身近に何人もいるのを知ったのです。
そして、本当にびっくりしたのです。
今思えば多分私が少数派かも(笑)


逆にその人達は、
私の好むタイプの仕事が半端なく嫌い
なようなのです。
私がそういう仕事に邁進していると
本当に気の毒がってくれます。


お互いがお互いの気がしれん!の世界です。
なんなら、オカシイ。
あなた無理してるんじゃない?
なんて心配になったり、
側から見ていてハラハラすることすらもある世界。


だけど、それ、誤解だったわけです。


で、驚いたあとに気づいたのが、


あーだから人って、補い合って、助け合って
生きていけるんだーってことでした。


こんなこと頼んじゃダメかしら?
じゃなく、こんなことだから、お願いしよーと
思える世界。


すぐ目の前にあったのに、
自分のフィルターからしかモノを見ず、
自分と真反対の感覚の人を 
気がしれん!
と断罪していたあの日々は、なんだったのでしょう。


そんな風に世界を見直すようになって、


前は躊躇して、
自分の中だけでぐるぐるしていたのが、
聞いて見なければ分からないから、聞いてみよ~
と軽く思える自分があらわれたり、


気がついたら、全くタイプの違うママ友と
PTAの重い仕事をペアでやっていたり、、、。


あと、


私だったら絶対イヤと感じることをしている人で、
実際に文句タラタラの人でも、
本当はどう思っているか分からないぞ、
と白紙に戻して注意深く確認するようになったり
もしました。



まあ、あまりにも反対だと、
やっぱエイリアンみたいなので、
(もちろん相手から見ても私はエイリアンですが)
一緒に仕事をするなら、時間が許せば
話して、知り合いたい、と思っています。


そうすれば、エイリアンは人間同士になって、
信頼関係の土台みたいなのが出来て
違うタイプのままでも、平気になります。


まあ、正反対の特性を持った部分なんて、
家族であっても、たくさんあるので、


身近な人ほど、いろいろ宇陀話して知り合う方が
暮らしやすくなるのは同じだなあ、
と思います。