模様替え、お片付けの季節ですね。
私も久しぶりに断捨離などしております。

思い返せば昔は、
片付ける「べき」 
で片づけていたような気がします。

雑誌やテレビに出てくる
美しい簡単収納術を見ては、
できる気がする、できるようにならなくては、
これならできるでしょうから、いや、
さすがにこれくらいやりなさいよ、
と最後通牒を言い渡されているような
気さえしていました。

かつては、
PMSで体調も悪く
寝込むことも多かったので、

散らかった部屋を眺めては、
「片づけたいのに、
あと一歩が出ないことがもどかしい」
「できない自分をみたくないのに、
家中がそれを見せつけてくる」


とか、


幼い子供たちが散らかすたびに、
あーしろこーしろと怒鳴りつけ、
忘れられるたびに
「ああ、私をバカにしている」
「こんなに苦しいのに真剣にとりあってくれない
なんて酷い」

とか、

そんな心の声を繰り返していました。


しかし、もともと私は
片付け好きの両親の家庭
に生まれたわけではありません。


書類の山に埋もれる父親に、
凝ったディスプレイなどに興味のない母親と
実質本位を地で行く両親です。

大切なモノを
なくすのは嫌なので、
どこに何があるかはわかっていたいけど、
たいした客人などもない我が家に、
片づける「べき」という言葉はなく、
自分が困らない程度に片付けたい、
という欲求しかない家庭でした。

今の私も、 
散らかっていると何がイヤ?と
問いかけても、
「べき」は一つも出てきません。

どこに何があるか、たいていは分かっているし、
足の踏み場に困らなければ、とりあえずOK(笑)


PMSのあの頃より部屋がきれいになったかというと
それほどでもありませんし。


さらに詳しく具体的に見ていくと、

💡家族同士のものが、
特に子供たちのものが混在して行方不明になるのは
出費も増えるしイヤ。
💡モノが多いと本当に今必要なものがそこに埋もれてしまう(特に服)可能性があるのは、もったいなくてイヤ。
💡モノが厳選されていると、必要なものがすぐ手に入るから楽でいい。
💡空きスペース(余白)がたっぷりある光景はみていて心地がいい。
💡かといって、生活感のない家は気持ち悪い、落ち着かない、だから隠す収納はあまり好きではない。

そんなのが出てきます。

あれほど片付けられない事=人として価値が低い
と自動的に反応して、自分を責めていたことは
露ほども残っていないのです。

あと、
「片づける」行為がそもそも
私にとって何かって考えてみるに、

横のものを縦にすること。
必要のないものを除去すること。
自分の今の暮らしに沿ったように
レイアウトを変更すること。
 
であって、

とどのつまりは、
目の前の光景を自分の手で変化させ、
気持ちの良いものにすること。
その様を見ていい気分になること。


つまり、

単純に力を行使して
世界をコントロールする欲求を満たす
ってやつだと思うのです。

もちろん、
家族や他者とぶつかるなら
調整しなければなりませんが、


我が家の場合は、私が
それぞれの私物以外のモノをどうしようと、
家全体のレイアウトについても
何をやっても誰も文句はありません。


片づけたくないモードで放置気味の時も
誰も何も言わないし、


言わないけど自分の不快なことだけは、
それぞれに地味に片づけたりしているのを
見かける程度です。
  

みんな自分のペースで好きなようにしています。


きっとこれは、私が〝片付けられない〝部屋を
戦場のように感じていた頃から
何も変わっていないのだと思います。


であれば、結局片づけ問題なんて
初めからどこにもなかったのだ、
と腹の底から気づいたのは、最近です。


いや、もとい、
私の心の中には厳然としてあったのだから、
それはあったのです。


そういうのをなかったとしてしまうのは、
自分の存在を否定しているみたいで、
変だと思います。


認識してもゴミ箱に捨てずに(笑)
大切にします。