100分de名著のオルテガの回を観ています。



〝死者とともに生きる〝

というメッセージは、
なんだか大それた難しい話のようだけど、

過去の積み重ね、先人の知恵の結晶を
生かしながら前に進む

と、とらえ直せば、
どこにでもあることじゃないかな、
とふと思う。

要は、
今あるルール、システムをとっかえる前に
まず学ぶというスタンスで、
既存の世界全てと付き合いませんか?
ということ。


これが、今をリアルに生きる人間にとって、
うざい綺麗事に聞こえてしまうのは、


まずめんどくさいし^^;


その上、それが時として、


頭の固い大人が思考停止でおしつけてくる
〝常識〝や〝しきたり〝や、〝ならわし〝や
〝道徳〝や〝人の道〝や〝当たり前〝
の舟に乗せられていたり、


既得特権を守るための体制側が
〝制度〝〝法律〝〝こうすることになっています〝
〝慣例〝〝品位〝
などの旗をふりかざしてきたりして、


新参者や、子供や、異文化や、
今生きている凸凹ある生身の一人一人の人間を
問答無用で門前払いするようなことが
いつの間にか増えて、


そうなると、反発心も増大し、
全部ひっくり返しちまえ〜となって、
対話をすっとばし、力の行使に走る、


みたいなことになるから。


まあ、実際そうやって
たくさんの血も流されてきたし、
家庭内でも子は親に反抗してきたし。


だけど、それじゃあ、とても勿体ないし、


思考停止の相手と同じ土俵に乗って終わり
じゃない?

とオルテガさんに言われたような
気がした。


もちろん、
いまあるルールやシステムを尊重するったって、
墓石を丁寧に磨くわけじゃなく、
それが守ろうとした根本的な欲求を汲み取った上で、
各論で対話していかなきゃ、意味がない。


拝んで、腫れ物に触るようなら、
過去から何も学ばないし、
連続した歴史なんて、見せかけのおかざりに
なってしまう。


だけど、だからこそ、一番まずいと思うのは、


決まりは守られるべきもの、
だなんて踏ん反り返って
立場にもの言わせて、
マシンの一部のように
対立相手のモグラ叩きに快感を覚えること
じゃないかなあ、と思う。


そういう人達こそ、
すでに死者と分断されている、と思うのだけど、
私を含め大人なら、みんな心当たりがあること。



だけど、もし、


ぼくらは、こんな長い年月かけて、
何かを守ろうととして、
未来の自分や子供たちのために
いろいろ工夫してこんなシステムを作った。 
だけど、時が経ったり、視点をかえてみたら、
どんどん修正してかなきゃいけない。
君たちに与えた不具合、
今、君に与えたらしい具体的な苦痛も
検討しなきゃならないから、
どうか教えてくれないか。


そう言えれば、


きっと、対話は始まるし、実るし、
ものすごい叡智が更に結実していく。


1かゼロかとか、
破壊か創造かとか、
食うか食われるか、とか、
やるかやられるか、とか


というカッコいいヒーローものに
酔いしれる、なんて世界は、


大人の方から、
卒業してもいいんじゃかいかな、、、
と思ったのでした。