ゆっくりしたいのに、
子供が昼寝の邪魔をしてくる。


ちゃんと宿題をさせたいのに、
嫌がる、無視する。


まっすぐ道を歩きたいのに、
横から自転車が迫ってくる。


挨拶をしたのに、返してこない。

栄養を考えて作ったのに、食べてくれない。

粘り強い子にさせたいのに、習い事が続かない。

なんでも話してほしいのに、聞けば口を閉ざす。

頼って欲しいのに、何も言ってこない。

ほっといて欲しいのに、やたら手も口も出してくる。

友達と遊んで欲しいのに、一人遊びが好き。


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あげればキリがないけど、

こんなようなことのいくつかが
一度に降りかかってきたら、

人は多かれ少なかれ、自動的に
相手の悪意を決めつけてしまう
ものなんじゃないかな、と思う。


言うことを聞かない子供に腹がたつ。
進路を妨げたヤツにむかつく。   


ってしょっちゅう聞くセリフ。


思い通りにいかない対象は、
きっと、自分を傷つけようとしている。
もしくは、私なんか傷つけても平気だ、
とバカにしている。


みたいな、悪意。


どいつもコイツも一体何なんだよ!
と叫びたくなる、あの感じデス。


その架空の悪意は、なぜか心の中で
確かな存在にあっという間に育つ。


ネガティブな見出しのネット記事に吸い寄せられるように。


そして、不安な時ほど、
この悪意認定はなかなか剥がれない。


防御モードととても相性がいいからだろう。


どうせ私は虫けらのような存在。
どうせ私は酷い目に合う。


まるで世の中の目が自分を仕留めるために
いつもこっちを向いているかのように
決めつけて、


それに最大限に構えておくことで
さらなる落胆から自分を守る。


ただし、心の中に短剣を抱えながら。。
痛い気持ちいっぱいで身体を丸めながら。。


=====
しかし、ここで、いったん、
コトをそんなに大層にしないで、見直す。


世界が、とか、この世の意味、
とか、そんな崇高なことは
この際、ワキによける(笑)


単純に、


そもそも、自分は何がしたくて、
出来なくて、困っていたのか?

を見る。

大層なストーリーの中に自分を
編み込んだあとだから、
もうすっとんでしまっている頃かもしれないけど


とにかく、愚直に巻き戻す。


例えば、


疲れているから寝たかった。
夕飯の支度前にすっきりしたかった。
明日は仕事できっと働き詰めだから、
きっとチャンスはここしかない。


とか、




宿題を忘れるのが多くて、連絡帳に書かれた。
出来ない親だと思われたくないから、
やってほしい。
いや、学力の低下が心配だ、
私は勉強ができなくて苦労した。
子供だけは同じ過ちをさせたくない。



とか、


まっすぐ歩きたかったのは、
歩道からはみ出してでも、
前からくる親子連れに歩道側を譲りたかったから



とか、とか、



とにかく、個別具体的に
自分の欲求を巻き戻して、見つめる。


だけど、やれば分かるけど、
人間はこれがとてもとても難しい(^_^;)


次の角を曲がれば、
もう次の欲求で歩いているから。


とにかく、
圧倒的な無意識の自動運転の
その合間合間に、必ず何らかの想いは隠れている。


それをつかまえ損なうのは日常茶飯事なのに、
サブリミナルな欲求でも害されると、
ストレスだけは、ちゃ〜んと増えてくるから、
うっとうしい>_<


だけど、だからこそ、
これを拾いに行ってみようとするうちに
凄いことに気づいた。


まずは、


自分でも言語化容易でない、その欲求を
他者に察しろというのがどれほどの理不尽か(笑)
ってこと。


察しられなくて当たり前、のその欲求を
察しないことで100パー悪意認定するって
何なの、私( ゚д゚)よ!


もう一つは、
邪魔になった相手にも、相手の欲求があるってこと。
相手自身も気づいてないかもしれないけど。  


それなのに、
必ず私を傷つけるという欲求だけは 
100パーあるって言い切るって、
おかしすぎる(。-_-。)

 
我ながら、幼稚園のごっこ遊びレベルだ、と思う。


でもね、


これは頭で分かってはいるけど、
ついついケンカ越しになったり、
ケンカがイヤだから自分を責めたりする習慣
が強いうちは、絵に描いた餅。


その都度その都度、自己対話して、
出来るなら相手と対話して
自分の妄想の間違いを訂正される事実に
驚き続けなければ身に入らない、と思う。


そして、正直言って、


一つ一つ見つめる気力もないくらい
しんどい時は、
悪意認定に走って、
身を守るモード強化するってのは、


ある程度仕方ない、と思う。


そういう脳の構造だもの。


情報が入ってきたら、演算したくなる本能が
脳にはあると思う。


しんどい時は、ストレスを立て続けに受けたら、
そっちに流れることもあるのが人間だ、


で、ひとまずいいじゃん。



と、悟っていない私は思うのです。


それが、いいとか悪いとかじゃなく、
調子悪い時の自分だなあ、と。



それを片隅で知っているだけで、
ずいぶん違うのだ、というのが、
今のところの結論かな。