今の自分があるのは、
あらゆる縁のおかげ。


では、ひとつでもその縁が違っていれば、
全く違う日常を送っていた
ということになりはしないか?


というか、本気でそう思う。


日本に生まれなければ、
子供が三人でなく、一人なら、
無尽蔵な体力があれば、
結婚していなければ、
あの時あの人にあっていなければ


自分静かにみつめれば、
自分の無意識のクセを少しでも見つけられて
へー、となって、
自分という点を少し知ることは出来るけど、


普段自分が行かないような場所に行って
合わないような人に会い、
何なら苦手な事をしてみたりすると、


そこで感じるザワザワや、
相手との違いから


もっと、圧倒的にいろんな方から
光を当てることができる。


しかも、しっかり見つめると、


意外にもそこに自分と遠からぬ接点を見つけて
しまうことも多く、


場違いだったはずの場所は、
縁さえ違えば、
そもそも私がいたかもしれない場所であると
思ったりもする。


結果的に一時の経験として、
その後それを離れたとしても、


そのちょっと荒療治とも言える経験は
意外にも自分の骨に彫刻するくらいの
原体験になって、


後になって、ひょっこり顔を出したり、
少なくとも
アウェー感のあるフィールドをひとつ減らす事に
繋がったりもする。


こういったことの根底にあるものに
名前をつけるとしたら、


多分、好奇心。


本を読むように、観光に行くように
自分を編みながら読んでいるだけ。


そんな事を書くと、
自分にしか興味が無いようだけど、
もちろんその通り、といっても構わない。


ただ、その過程で、
同じくらいに真っ白な心で、


人と話してみたくなるから、不思議だ。


それも全部含めて、
好奇心が私のガソリン。