夢、毎晩見ます。

目がさめるたびに見ていたことに気づくから
寝苦しい夜は何本も覚えています。  

だから、夢にはとても興味があります。


先日、睡眠の最新研究についての
番組を観ていたら、

夢は、脳内会話だ、
と言ってる科学者がいました。


その日に海馬に蓄積された記憶を
送り込まれた大脳新皮質は


「ああ、それは先月起きた事に似ているね」
「だが、詳細は重要じゃない」
 

とか言いながら、
他の記憶と関連付ける作業をしていく
そうです。


そして、その作業の中で、
脳は情報を映し出しながら処理していて、
それが夢の現場だというのです。


そして、


夢とは、
映像編集者の肩越しに
画面を
のぞき込んでいるようなもの。

と、言っていました。おーなんか新鮮!


実は編集前の映像と同じように、
夢にも脈絡がないそうです。
いろんなところから集められ、
ただ並べられた映像が再生されているが、
夢を見ているときは、
脳がそれらをどう組み合わせようかと
考えているってことになります。


睡眠中の無意識の脳が、
日常の様々な出来事に意味を与えている
って、なかなかの衝撃です。

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思うに、


関連しているとはいえない映像を
1秒ごとに延々と繋いだ映画を見せられたら、
人間はかなり不快になるでしょう。


そのうち、耐えきれなくなって


深い意味があるのではないかと、
点と点を結び、
この世の破滅が予言されていると
言う人も出てくるかもしれません。


いいサインを見出す人もいるかもしれませんが。


まあ、そのような根源的な衝動、
欲求
が人間にはあって、


夢の現場というのは、
無意識にそれを満たしている場所
と言えるのではないでしょうか。


それに、これができないと、
連続性を感じられなくなって、
人格も破綻するかもしれない。


だから、新しい脳にとっては、
きっと死活問題です。


また、寝ている時だけでなく、
ぼーっとしている時も
人は何かと何かを結び付けてヒラメキを得て
偉大な発明をしたりしますよね。


もしかしたら、
情報処理というのは、

意識的にするよりも、
無意識的にするほうが、
はるかに大量の情報を相手にでき、
すばらしい直観や創造もできる
可能性が上がるんじゃないかしら。



だから、瞑想しましょうとか、
記憶する時に体を動かしたりしましょう。
というのかもしれません。


そうなると、次に
自分の無意識が整理し、とりこんだ
大量の情報を取り出すのには、
本来、言葉はそれほど向いていない可能性も
あります。



つまり、
その引き出しの鍵は言葉に限らず、
体感や感情、
言葉以前のもので出来ていている 
ことの方が多いのかもしれません。




それに、これは重大なミステリー
と言っていい、と思うのですが、


そもそも先程の


映像編集者
って、一体誰でしょうね?


会ってお茶したしたことのある方は
いますか?


いや、あれは自分の別の側面だから
自分とはお茶出来ないんだ、
と言われるかもしれませんが、
寝ている時しか出てこない人のことを
意識のある自分が、あれは自分だ、
といくら叫んだって、
なんだか胡散臭い気すらします(笑)


その人がどんな人かを知る手がかりと
なるものは、この編集作業の産物
しかありません。



取捨選択する際に
大事なものにストーリーをつけて
残しているのなら、


自分のフィルター越しに
盛ったり、ハイライトしたり、 
順番変えたり、ズームアップしたり、
メリハリつけたりしているはずです。


その加工済みの映像
=記憶やら頭の中にある認識?などを
を再度取り出して解析するわけです。


それは、いうなれば、
ストーリ化する際に使用した フィルターと
事実を分離しようとする作業です。


やった本人がフィルターを外すのは
たかがしれてるのかもしれないけど、
他者との対話がそれに絶大な力を
くれるのは間違いないと踏んでいます。


そういう地道な作業をするしか、
その映像編集者さんの人となりを
知ることはできません。


でもでも、直に会えないからこそ、
私は、知りたくなります(^^)



さて、今夜の仕事ぶりは、どうでしょうかね?(笑)