自転車で広い歩道を走っていました。

交差点に差し掛かり、
前方の歩行者用信号が青になったので、
5、6台の自転車が一斉に
私に向かって走ってきました。

私はその交差点で左折予定なので、
左による必要がありました。

だけど、まだ私の信号は赤です。

そうこうしていると、
私の前方に年配の女性が自転車で接近。

私は、その女性が
スムーズに歩道に入れるように、
右によけました。

するとその女性も、
少し遅れて同じ方に寄り、
二人は向かい合ってしまいました。

二人とも止まりました。

するとその女性は突然、

「あんた、あっちに曲がらなあかんのやろ?
なんでこっちくるん!」

と固まった表情で私に怒鳴りました。


その時私は初めて知ったのです。
彼女は、スムーズに直進し続ける自分を
犠牲にしてまで
私のゆく道をあけたのだということを。


現にほかの自転車はもう、
ゆうゆう直進して私の後方を走っています。
もちろん私の信号はまだ赤です。

道端で怒鳴られたので、
少しイラっとしたのですが、
この女性のしようとしたことを
運よく私は理解しました。


ただ、彼女がそのまま私の脇をすりぬけて
進んでいったので、
会釈しかできませんでした。


謝るという意味ではなく、お互い様だね
くらいの気持ちでした。


彼女は後方でまだ、何やら言っていました。


この時の私が
何を言いたかったのかというと、

「私もあたなに道を譲りたかったのですよ」


ということでした。


そもそも道を譲りたい二人が
道端でカチあってしまうことって
多分誰しも経験があって、
でも、一方的に怒鳴られることは
ほぼないでしょう。

お互い照れくさくて、笑いあってすれ違い、
ほっこりする程度の場面です。

だけど、彼女は違いました。

彼女の親切は正しい。
私がおかしい。
私が左折できるように彼女はとまったのだから、
それを受けなさいよ。

という気持ちが強かったのだと思います。


理由はわかりません。


今思えば、


一瞬私が左にハンドルを切った後、
前方の彼女に気づいて右にきりかえして
彼女に道を譲ろうとしたのかもしれません。
(一瞬すぎて確信はありません)
それはわたしにとっては、事実だけれど、
私自身の視点です。

もしかしたら、
彼女は、その、
一瞬私が左にハンドルを切ったところを
遠くから見ていて、もうその瞬間に
私に道を譲ろうと決めていた
のかもしれません。
そして、
そのあとは視線を他に向けていた、、、

まあ、一つの可能性です。


とにかく、私と彼女の見たものは違うのです。


そして、
お互いがお互いにとって意外な行動
をしました。


ただそれだけのこと。


まあ、現場で私もここまで細かく
把握したわけではないのですが、


彼女の投げた言葉が
とても確信めいていたので、
私とは違う世界をみていたのだな、
ということだけはわかりました。


だから、怒鳴られても、全然平気でした。


だけど、
イラっとしたのは何だったのでしょう?
気になって、あとで青信号を渡りながら、
考えました。


それは、怒鳴られたことではなく、
(以前なら怒鳴られたことだったと思います)
知らない人に「あんた」
と急に言われたことだったと
数秒後にわかりました。


そこ?って感じですね。
自分でも笑ってしまいました。


あと、


そのあとも
まだぶつぶつ言っていた彼女はきっと、
世の中、なんて分からず屋がいるんだ! 
とか、思って、
このあと一日不愉快になるのかもしれないな。
とふと思いました。


そして、今ごろ彼女の脳内では
今日の出来事について
激しい意味づけが起こっているかも
しれないな、とも思いました。

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起こったことが自分にとっていくら事実でも、
視点はいくらでもあるし、
自分と他者は別物です。


そのことが腑に落ちてきた自分は、


相手が私をコントロールしようとして、
あるいは、
誰かが自分の見ている世界を
思い通りにコントロールしようとして、
何かを投げつけてきて、
私にそれがたまたま当たっても、
結構平気になっていることに気づきました。


ほんの数秒の出来事だけど、
時々こうして掘ってみると、とても面白いです。