突然ですが、
糸の切れた凧を見送ったことはありますか?


私はあります。


小学校の時、手作り凧揚げ大会があり、
兄に手伝ってもらって作った
青いポリ袋で出来た私の凧は
どうやら上手く飛びすぎたんです。


おそらく、左右のバランスを 
徹底して調整したからだと思います。


とにかく、


それはそれは空高く飛んで、
なんだか自分まで空に吸い込まれそうな
気がして、


自分の手元の糸が
その凧とつなっがていることが、
怖くなるくらいになって、 


ついにその姿が小さく小さくなって
ああ、どうしよう、と戸惑っていたら、
糸が切れてしまったのです。


ちなみに、その後、
凧が落ちる姿は全く記憶していないので、、
ひょっとしたら、
まだ空を飛んでいるのかもしれません(笑)

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糸の切れた〇〇といえば、
風船というのもありますね。


実は、最近、


自分のことを「糸の切れた風船」
だと言うのがどうもしっくりいくのです。


凧よりも風船。


ものすごく風受けて、時には風をきって
するどく飛ぶのじゃなく、
ぬるーっとふわふわーっと
飛んでいるイメージです。


糸の切れた、というのは、
誰かの手を離れた、とかそういう意味ではなく、
ほっておくと、浮遊してしまう、
そんな感じです。


でも、昔は細い糸でたった一点、
大地とつなっがって
風が吹くたびに、
必死でパタパタしていたような気がします。


風に吹かれては、
糸にひっぱられて、突然引き戻される。
むち打ちになるのは確実なのに、
けっしてその一点を離さない風船です。


実に風船らしくない生き方です(笑)


まあ、同じ空を飛ぶにしても、
そもそも自分は凧だ、とか、
大鷹だ、とか、飛行機だ、とか、
人によってイメージはそれぞれだと思いますが、


私は風船が心地いいです。


風船って、いかにも所在なく
ただよっているように見えるかもしれませんが、
それは見上げて見送る人の目線でしょう。


糸の切れた風船自身の目線ではありません。


所在なら、いつもあります。
常に風船自身にあります。


今真剣に想像してみたら、
とてもダイナミックで、
とても気持ちのいい視界だなと
ふと思いました(^^)


どんな時も、風をまんま受けて飛ぶ、
実に潔い姿も、いいな、と思います。