軸対話サロン実践会で、
『共感』
が話題になりました。
で、ふと思い出したのは、
自分が
人の気持ちに疎い子供だった
ということ。
小学校の物語の授業でも、
全く行間が読めなかった^^;
例えば、
話の流れからして、
きっと
その一輪の花は、
さっき助けてあげたキツネさんが
置いていってくれたもの、
みたいな物語だったとしても、
それに全く気づかない。
綺麗な花が突然落ちていたんだな
とだけ思う( ̄ー ̄;
先生の質問に対して、賢い子が
『キツネさんが置いていったと思います‼︎』
と答えた時点で混乱し、
先生が
『じゃあ、どんな気持ちでキツネさんが
お花をくれたのか、分かる人!』
という流れには、完全にのりおくれる(笑)
その間中ずっと、
(風が強くて、崖の上からとばされてきたのかも知れないし、前からあって今気づいたのかもしれないし、わからんやん!なぜキツネさんのせいだって言えるの?)
とか考えている。。。
要は、空気の読めない子。
意図の読めない子。
いわゆる、共感能力の低い子。
でした(笑)
とにかく、心情を読むタイプの
国語や現国の成績は悪かったです。
今では、映画妖怪ウォッチや吉本新喜劇みても
泣ける時もあるので、ずいぶん変わったもんです。
ただ、これが、
軸対話で
アクティブリスニングするのには、
役に立っているんじゃないか、
とふと思ったのです。
なぜなら、軸対話で人の話を聴くには
自分の中は空っぽにして聴くから^ ^
決めつけない。
思考を走らせない。
意図を読まない。
事実はありのままみる。
自分の気持ちはおいておく。
自分と相手の気持ちは一緒じゃなくて当たり前。
感じるのは相手、
答えを持っていて、かつ
答えに向かって探検するのは相手、
私じゃない。
そう、相手は私じゃない。
もちろん、私は相手じゃない。
『虚しいって感じるんですね』
と声かけして、『そうそう!』
となったとしても、
相手の『虚しい』と私の『虚しい』は
違うもの。
でも、その『虚しい』をトリガーとして、
相手が自分の心の中を探検を続けられれば、
それでいい。ソレガイイ。
私が相手を知るために聴いているのではなく、
相手が相手を知るための寄り添いに過ぎないから。
だから、
感じて反応してしまう、いわゆる共感力の高い人が
人の話を聞いたりすると
寄り添っているうちに、しんどくなる、
とはよく聞くけど、
軸対話の場合は、それはありえない。
もし、
反応してしまう自分がいるなら
聴く相手が違う、ということになります。