以前こんな記事を書きました。
感じていた頃、
ちょいと俯瞰して自分を眺めて
『たくさん人がいれば、
そりゃあ、こんな奴もいるでしょ』
という視点で自分を許容する
ということをやっていました。
実は私、幼い頃は集団の中心にいたタイプ
だったのですが、
その時のことを、ちょいと回想してみても、
当り前だけど、
メンバーはひとりひとり個性があった。
いろんな温度差があって、
私への接し方もいろんな人があって
だからこそ、全体としてうまくまわる。
集団の中には、
こんな奴もいるでしょ、
といううっすらネガティヴな感じよりは、
むしろ
こんな人もいてくれるんだ!という温かさ(^^)
人は思ったより、均質であることを
望んでいない。
少なくとも、私は。
そんなことに気づいた時に
さらにツルんと降りてきたのが
こんな奴もいるでしょ、
から180度転換して
『こんな奴がまず現にいる。』という視点
俯瞰して許容する視点じゃなくて、
逆に、内側から
個の存在から全て始まるということ。
例えば、私が素敵だなあって思う人って
誰にも似てない事が多い。
漫才師なのに、小説家の又吉さんとか。
今でこそみんな受け入れているけど、
彼以前に彼のような人はいない。
文筆や表現が大好きな又吉さんが
漫才師にも小説家にもなっただけのこと。
はじめに、存在ありき、
カテゴリーはただの見え方。
で、あれば、
自分だって、
俯瞰して、あるいは他人から
何者に見えるかなんて
どうでもいい。
とことん純度の高い自分が
世界に反射したら
◯◯に見えたり、△△に見えたりする
だけのこと。
まず、現に自分がいる。
それが新しい視点です。
そして、同じように『多面的な』な存在
である自分以外の人のことも
そのまま、そのまま受け止めて
できればゴツゴツした原石のまま
感じていたいなあ。