前回の記事の考察編です。


最近、わたし、
物を買ったり、手に入れたりした時


何故かその少し前に、


それを手に入れた状況や感覚が
細かい具体的なイメージをともなって
湧いてきていることに気づいた
というオハナシでした。



まず、やたらと具体的なイメージが
浮かぶ理由について考えてみました。


結論からいうと、
邪魔するものがなくなってきたんだろう、
と思います。


例えば、
どんなバッグが欲しいと聞かれたりして
頑張って構えてイメージすると
思考や、他人軸の声が邪魔しがち。


高いだの、安いだの
そんなものあるわけない、とか
計算して買い物しよう、とか
このバッグを誰かにけなされそう、とか。
汎用性がない、とか。


だけど、突然湧いた具体的なイメージには
それはない。


なぜだかしらないけど、
ただ浮かんじゃっただけだから(^.^)
バッグを肩からかけて街を歩いている自分の姿や
バッグの重さまで体感しているんだけど、
理由とかわならない(^^;;



まるで、
スコーンって広い道を抜けてやってきた感じ
がするんです。


こんなことが、
どうして起き出したかっていうと、
やっぱり、
自分の声と他人軸の声を分けようと
地味にずっとやってきたからかな
と思ったのです。


ただ、はじめのうちはこの作業、
思考や言語を使って
分けていくから、
思考が絡まりやすい、と思うのです。


例えば、自分を納得させる
ありがちなストーリーを見つけようとしたり、
気がついたら、他人軸の声が二重に
うっすら聞こえていて、
結局他人軸で自分をさばいてしまったり、
逆に、他人軸を納得させようという衝動に負ける
という罠にはまるとか。


でも、やってるうちに、


あ、また他人の声が入ってきた、
とか、
あ、そうか、私がこわいのはこの声か
なんて
気がつき始める。


そんなことしているうちに
どんどんどんどん、そいつ(他人軸)の
しっぽは捕まえやすくなってくる。


いつしか、ヤツが近くに来たときは、
感覚で気配に気づくようになる。


相手を感覚ではがせるようになってきたら、
残るは、自分。
《自分》が《いる》っていう感覚の純度が
上がっていく。


そういうわけで、


急に自分の感覚が湧いても
邪魔されず私に届く。


しかも、
私の中で反響する空間が広くなってるから、
より鮮明なイメージになって届く。


そんな感じかなあ、と思いました。


そういえば、軸対話では、
自分で自分を聞く時に、
『はじめはできなくていい。
少しずつ少しずつね』っていうんだけど、
多分、こういうことを指しているような
気がする。