さぼってない?
自分を大切にしてる?
頑張れてないんちゃう?

そういう声をかけていこうと思います。


、、、これは、参観のあとの懇談会で、
           娘の小学校の担任の先生
           の言われたこと。
  

ちなみに授業はとっても丁寧で
子供たちひとりひとりを
しっかりみてくれて、
教室のすみずみまでしみわたるような
気持ちよさに、軽い衝撃を受けるほどでした。


ただ、私勝手に
《自分を大切にする》って言葉、
《頑張る》って言葉に反応して
クラクラしてしまった^^;


だって、どっちも
すごく抽象的なんですもの。。。


それにね、思い返せば、

私自身、真面目な小学生で 
高学年になって、
あまりにしんどいから、

宿題を手抜きしたり
テストの見直し回数を減らすってことが
《自分を大切にする》につながった
記憶があるんですよね〜〜^^;


だから、
なんかイヤ〜なセリフに感じてしまった。


《頑張る》ってのは、
自分から逃げないってことだ、
とは思うけど
いわゆる学校的意味で頑張り続けて
自分軸がわからなくなって
強制終了しちゃうこともあるでしょ?


真面目な子供こそ、
自分の腹の底の声を聞けなくなるかもよ
って思う。


私がサボりだした時は、
誰にも教わらずに、自分で判断したし、
勇気もいったし、
先生にもツッコまれた。

だけど、自分で判断したんですよね。

そういうのは、今振り返ると
人生において、すご〜く大きな成長だったと
思うわけです。


まあ、とどのつまりが、
クラス全員に向かってざっくり声をかける
抽象的な言葉は好きじゃありません。


そういう、
《いいハナシ》的な時間は 
すぐ眠くなる(笑)
小学生には戻れないな^^;


不真面目な子もね、
きっと不真面目は現象で、
何が自分のモヤモヤかが表現できるだけで、
急に頑張りだしたり、
勉強はキライでも、
何か見つけてに打ち込んだりするんじゃない?
自分をとことん見つめに引きこもる、
も成長過程だしね。


小学校でも
自分を大切にする為に、
とことんワークでもして、
自分を掘り下げて見つめる授業
とかあるといいなあ。



あ、あと、
《友達は大事だ》
も言われていたな。


ひとりで教室にポンといる子がないように
気を付けてみていますって言われてだけど、
1人で平気な子もいるしね。


ひとりでいる子にどんな欲求があるか
の方が大事よね。
自分軸があるのかもしれないよ
選択の結果には違いないんだから
聞いてみなけりゃわからないよ。


子供は立派な人間だし、
オトナより神に近いから。



、、、なんて懇談会の間中
心でツッコミいれていました。


でもね、実際は
子供ひとりひとりを
とってもよくみてくれそうな先生で
総論と個別な話しは違う気はしました。


結局、ひとりひとりをよく聞き、
よく見るかしかない。
それは、親の役割だし、
子供とも先生ともその都度対話すりゃいい。


自分軸もって自分で決めた選択を
していけることが
自分を大切にすることだってとこを
忘れなきゃ、現象の一つ一つは
そう問題じゃない。
たとえ、それが回り道やどんくさく見えてもね


それにしても、


学校って一対他の場面が多いけど
全員に向かって先生が言った言葉が
いついかなるときも
全員に合うわけでもないんだよな
と思うと、
やっぱりめんどくさいなって
思ったりしました(笑)