娘の不登校、今は完璧に解消しています。

って書くと、

現在不登校の子供のお母さんが
ザワザワするかもしれないけど、

不登校そのものはただの現象で、
善悪ないと思います。


原因だって人それぞれ。


思うに、
子供だって、自分と向き合って、
子供なりに選択した結果です。


だけど、同時に
なんだかイヤとか、モヤモヤするとか、
自分の中で言語化できなくて
困っていたりもしている。


そんな時に、


周りが良かれとヤイヤイ聞いてくる。
ますます困る。
お母さん悲しんでる。
お父さん怒ってる。


みたいになると、
ネガティヴの意味付け合戦。


自分を自分でわかってやりたい時なのに、


なんかみんなの言うことが邪魔になる。
だから、遮断したい。


みたいになると、もっと殻に入る。


でも、コレ
生きようとしている証拠だと思います。



そういえば、
オトナだって瞑想流行ってますよね。


いろいろな信号をキャッチし過ぎて
しんどいってことありますよね。


自分との対話を大切にするって素敵なこと。


子供は素直です。
だからこそ、なおのことしんどい。


だからこそ、娘も遮断したんだろうなって
今となって振り返ると、
腹の底から思えるんです。



となると、


頭の中をこだましているであろう、
たくさんの他人軸が鳴り止むように
しばらく、そっとする時間もいるだろうし。


無条件に生きていていい
という実感も大切。


そんな時に、

親は躾たり、教えたり
お尻にムチうったりしようとするなんて、
やっぱり違うと感じます。


それをキッカケに自らの軸が起きてくることは
ありますが。



娘の場合は、よく紙に書き出していました。
初めは人に話す=声に出す
より、紙に向き合うだけがよかったみたい。
書き直せるし。


若干8歳で自己と向き合うって
すごくないですか?


今じゃ、その延長として、
自由に自分の想いを描いたりもしています。
作りたいもの、イメージ、世界などなど


学校には、嬉々として行き、
自分は自分を認めているからと、
特定のグループには属す必要はないからと
ピンで動き、
その場その場で自由に楽しんでいるそうです。



放課後は一切誰とも約束せず、
マイクラしたり、水彩色鉛筆で絵を描いたり
漫画を描いたり、歌ったり
人生を謳歌しています。


自分の軸ができたから
忘れ物しても人に頼れるし、
うっかりものの自分にも花マルつけてます。
『貸してもらえて嬉しかったわ〜』いうてます。
 
なんかすごいです。


丸裸で生まれて、
外的刺激にさらされて、混乱して
一度遮断して、自分に向き合う。


遮断の仕方、向き合い方は
人それぞれなんでしょうが


人生に一度は必要なことなんじゃないかな
って思います。

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