人に聞いてもらうのが苦手な人もいる。


私はどうだろう。


自分が世界へ出力していることを観察することで 
自分を観察して、そこから
自分を自分で聞くというのは多いけど、
(これも聞くに入ると思う)


わざわざ人に聞いてもらうことは少ない。


あ、でも整理するために
聞いてもらうことは多いな♡


空中を飛び交う感覚を言語に吐き出す。
その過程に立ち会ってもらう。


たまに質問されて、
ふっと視点が変わるもよし。


おかげで、
より明確な言葉を見つけることもよし。


言語化しているうちに
『腑に落ちる』の『腑』に入るくらいの
分子に細分化されたり
変質したりするんだと思うな。


食べ物の消化と同じ。


頭でっかち、を
ちゃんと胃の腑に落とす作業
の助けになる。


実際には時差があって、
言語化できてから、しばらくたった頃に、
がっつり腑に落ちることが多い。



そうなると、

聞いてくれるひとはね、 


私が私の胃の腑に入れるっていう大前提を
わかってなきゃだめだな。


勝手に問題を取り上げたり、
横取りして食べちゃう人はだめ。



話す人も、
人に答えをもらうのを目的にしてたら
おかしなことになる。


答えは自分が持ってる。


だから、軸は自分にある。


って、これが、
アクティブリスニングやね。


でもね

たとえ、
ぐらぐらしている人が
答えクレクレって寄りかかって来てもね、


自分の中身を観察するように
視点を戻してあげる聞き方をされれば


寄りかかってきた肩を支えないように
されれば、



ぐらぐらしていたはずでも、
いずれは
ぽんって自分を見つけることになる。


なぜって、
必ず自分に答えがあるから   2度目(笑)


そしたら、誰でも自分の軸に触れられる。


聞いてもらう方が勘違いしていても
そういう展開にもなることができる!


自分の軸がある者同士だからこそ
対話できるってのも間違いじゃないけど、


逆に、
自分に触れられることができる
対話(聞いてもらい方)から
自分の軸を自覚することもできる。


それがきっと
聞いてもらうことの真髄やと思うなあ。

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