先日のカラーダイアローグ講座
好きな色2つ、嫌いな色1つを選びました。


私の好きな色は、あえて言語化すると
日陰で見れる緑の葉を思わせる深い緑
少し淡く紫がかるような気まぐれな空色
ちなみに嫌いな色は絵の具で肌色として使う色


んで、
終了時にももう一度選び直しました。
ただの黄緑きみどり(説明無し)でした。


ちなみに好きな色しか浮かばない。
というか、パラパラとカードをめくって
バン!って自分に向かってむこうから
飛び込んで来たのがきみどり


なんでしょう、このシンプルさ。
おののきました。
理屈一切抜き。


未来子師匠は、
好きな色嫌いな色はどんどん変わると言って
ましたが、本当です。


実際、数時間で変わっちゃいました。


今、今、今
の状態を反映していたからでしょう。


ちなみに、はじめに好きな色の理由を
聞かれた時、
たくさん説明しました。
緑なら、
こんな風に光が当たっている
こんな感じの葉っぱをどの位置から見た緑
とか、
空色なら、
どんな空色で、なぜ好きか、
色合いの微妙さ加減、変化具合はどうか
とか。


それ自体は本当ですし、
私の基調として、体感としてずっとあります。


でも最後に選んだきみどりは、
全く説明は無し。浮かばない。
だって、
むこうからやって来たんですもの(笑)


今思い出してみれば、
リビングインテリアに多く使っています。

なんとなくですが、


好きな色、と聞かれて
答えありきで検索した色は
左脳を使った結果や過去の情報
を反映しているのかも
しれないですね。


自らを自らが規定しているという側面が
少しあるのかな〜って。
つまり、今以前の自分の集積


で、バン!って
飛び込んでなつく色は
右脳のみ。


言語は挟まないので、今今今を写す。
鏡にうつった姿に過去の自分を見るのではなく
シンプルな今がまぶしいほどにうつるような
イメージ。


自由になるって、過去の自分からも
自由になるってことだよなあ
ってふと感じました。

多分講座中に、左脳のおしゃべりが止んで
ただの感覚に近くなったんだろう
そう思います。


黄緑を選んだ私に、師匠は
『(好きな色から)黒がなくなったね』
とだけ言いました。
そ、そういえば、苦労して後から選んだ嫌いな色は黒!!

ふ、深い!(´Д`;)
あとから、あとからジワっとくる。
たった一言で。
いつもこんな感じで、
全く押し付けがましくないのです。



やはり、『好き』というのも言語だし、
私の場合、言語に引きづられている部分に
黒の要素があるのかもな、とか
問いかける言葉って重要だよなとか
カラーダイアローグの底知れぬ深さを
思い知った気分です。


ただ、もう左脳じゃ身体には
何も入らないタイプだということは
分かっているので、
このまま、ただただ学習もせず(笑)
この深みに落ちていく決意を
勝手に新たにしました。


勤勉な生徒とは程遠い(^▽^;)

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空色こんな感じかな♡