… 鳥と獣は、それぞれ自分の仲間と 
    集まって動いているし、
    木や草は、それなりの立場で立っている。
    このように
   
 もともと備わった力で動いていけば、
 それが自分の人生を
 いちばんすんなりと
 歩むことになるんじゃないかね。
 そして、自然に目的を達することになる。

  何もそんなに、 
  世界への愛だの、片方に偏らぬ正義だのと
  旗にかかげて太鼓を叩いて、
 まるで迷子を探すみたいにうろつかなくて、
 いいんじゃないかね。…

                                   『荘子ヒア・ナウ 』加島祥造より

荘子の書を意訳したこの本、
時々恋しくなって読み返します。

さらにコメントでやりとりしたんだけど、
その最中にふと思い出したのが冒頭の部分。


違う考え方を相手が言っただけで、
私の考え方を傷つけられたって思うのは
正しい考え方が一つしかないって
思ってるから
じゃないかと思うんです。


そういう教育を受けたってのもあるし、
根本的には、
言葉を使って世界を抽象化してとらえてしまう
人間というもののサガだとも思う。

つまり、
《世界は椅子取りゲームだ》と思っている。


愛や正義の部分を
醤油のかけ方、お金の使い方、
鳥、ゲーム、何に入れ替えてもいい。


正しい醤油のかけ方
正しいお金の使い方
正しい鳥 
正しいゲーム

正しい人生…

どこかにあると言われている黄金の剣
を探す冒険映画のように
日々その椅子を奪い合い、戦って傷つけあう。

しかも、ヒーローは
迷子になるから、盛り上がる。
旗を掲げるから、盛り上がる。 
今旗をおろして、迷子をやめたら
何もすることがない。そんなヒーローはかっこ悪い
…んな訳で、なかなかやめられない。


その挙句が、


正しい生徒
正しい街並み
正しい空

正しい悲しがり方 
正しい謝り方
正しい子供…etc

闘いの後に見える景色は、
あらゆるものに立てた美しき旗と、 
足元の累々たる屍。
ショッカーの屍!

屍のもとは、握りつぶされた具体的なもの達


私の今のコンディションにおける
具体的なインプットが引き起こす
具体的な影響、感情の動き


それを言い出したら、
           議論にならないでしょう?
           何もまとまらないでしょう?
と言われ続けて、
無視されてきたものたち。

でも、
あるんだから、仕方ないじゃないチュー


だから、
もう、いいんじゃないかね。
って荘子はいうんだ♡多分。

口を開けば
具体的な存在である自分とは別人の
しかもどこにもいない
《正しい》誰かのハナシばかりして


目は
正しい旗をうつろに目指して、迷子になり


置いてきぼりの生臭い自分のことは、
自分で話も聞かないくせに、
誰かに丸投げするという。
愛と正義は、まるでオバケのようだ。


そんな生き方
もう、いいんじゃないかね♡

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私は、ただ咲くのです!