「かつて地球は一つのコトバを持っていた」(映画ガイアシンフォニーより)
学生の時に出会ったこのメッセージ。

 

全ては繋がっていて、

地球は一つの生命体のようで

そして

人も虫も鳥も動物も植物も風も水も大地も、、、

同じコトバで交し合っていた。

 

このメッセージに

私はものすごく惹きつけられて、

それから、ずっと

これと共に歩んできたように思います。

 

そして

いろいろな場面で

少しずつ

それを実感していきました。

 

 

そして今春の

ペルー旅。

今思うのは、

このメッセージを決定的に体感するために、

私はあの地へ向かったのかもしれません。

 

 

 

 

ペルーで出会った

人知を超えた建造物。

圧倒的な自然の存在感。

 

なぜこの場所に?

どうやって造られた?

 

全ての答えは、

このメッセージにいきつきました。

 

 

「かつて地球は一つのコトバを持っていた」

 

 

 

 

 

 

世界(地球)がこの場所にこれがあればよいと求め、

それは造られた。

その頃は全てが一体だったから、

ものを動かすのも、形を変えるのも、

沢山のものがそこに力を貸した。

光、雨、風、石、木々、etc。

人はそれらと共に、その建造物を造った。

同じコトバを交わしながら。。

そうやって共に造りあげていくことが、
関わるものたちの歓びであり

敬虔な気持ちの現われだった。

 

私はペルーの地で、

そうやって造られたとしか思えない場・建造物に

たくさん出会ったのです。

 

そして、

現在もペルーには

その空気感が脈々と続いているように感じました。

 

 

 

 

 

圧倒的な自然の中で

繋がり、助けられ、

そうやって生かされている人間の存在。

 

人間だもの、エゴやら感情やらも満載だけれど、

それでも存在を許され、大きなものに抱(いだ)かれている。

全てと共にある。

 

その開き直りと、安心感もペルーの人たちから感じました。

 

あぁ、

本来人はそうだったんだろうなぁ。

 

 

 

 

 

そうして日本に帰ってきた時、

これまた強烈に

今の日本に漂う“心許なさ”を感じたのです。

(特にコンクリートジャングルの地域)

 

 

ナニニモツナガッテイナイ、、

 

自分の存在を確かなものと感じられない、、、

 

よりどころが無い、、、

 

という心許なさ。

漠然とした不安。

 

 

だから、

“規則”や”肩書き”や”ブランド”や”権威”や”名声”や、

”家”や“人”や“グループ”や”動物”や

“理論””理屈”や”思い込み” や

そういった

目に見えるモノや、

分かりやすくカタチになっているものにくっつくことで、

自分の存在を確かめ、

繋がりを感じようとしている。

 

それが無くなったら心許ないので、

必要以上にくっついて、それは執着となったりする。

(カタチあるものを否定しているのではありません。

それの大事な役割もたくさんある。

ただそういったものに、”必要以上に”頼ってしまう、ということを言いたいのです)

 

そういった、

よりどころが無いことへの必死さを感じるのです。

(もちろん、私自身も含めです)

 

 

繋がりをことごとく断ち切られてしまった日本。

繋がりをなかなか感じれなくなってしまった日本。。

断ち切れたオオモトは、”自然”との繋がり ではないかと思うのです。

 

 

ほんとうは”自然”と書くことも違和感があります。

だって、人も自然の一部なのだから。

人 ≠ 自然、ではなく

人 ≦ 自然 。

 

でも、いつの間にか人を自然から取り出してしまった。

切り離してしまった。

むしろ人が自然を支配できると思ってしまった。

そこが

今、人たちをしんどくさせているように思うのです。

 

 

 

 

自分(人)が全てのものと繋がっている存在ということが分かれば、

天と地と繋がって立っている存在と感じられれば、

もうそれだけで完結する。

自分の拠りどころが自分になる。

それは

とてつもない安心感。

そして共に生きている他の存在への感謝。

その背後へあるものへの敬虔感情。

 

もう外側のなにかに執着しなくてもいい。

誰かとの関係性や

グループに入る入らないや

会社での自分のポジションや

自分の成果や貢献度や

社会での評価や

そういったところでウロウロするのではなく、

 

天と地と全てのものとのつながりに抱かれながら、

助け助けられているのを感じながら

 

ただひたすらに

自分の命にまっすぐ向かう。

 

 

向かえば向かうほど

またそれを実感する。

 

そうして

気づけば、

自分も周りも  歓びに満たされている。

 

 

 

そう、生きることは孤独だなぁと思うのです。

でも、命まっすぐに向かえばむかうほど

その孤独は

寂しさではなく、

安心感や

歓びへ

いきつくのではないかと思うのです。

 

 

それがまた、

孤独であるゆえの

醍醐味なのではないかと

思うのです。

 


 

だから

ひたすらに

命まっすぐに生きよう。

 

繋がりに抱(いだ)かれながら。

 

 

そしてまた、

私もそれをますます実感し、

繋いでいける人でありたいと思います。

そのキーとして

私は

自然”を据えようと思うのです。

 

 

今日も読んでいただき、ありがとうございます。

 

あぁ、

まだはっきり言葉になりきれぬ分、

とても長々と書いてしまいました。

まだまだ固くるしいっ!笑

でも、やっとここまで書けた。。という感じです。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

繋がりを感じる場づくりをします。

自分と共にいる人、全てと共にいる人と繋がっていきます。

自分なりの愛を深めます。