古井由吉『連れ連れに文学を語る』対談集をよむ | 再開  オネオネ日記

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ぐるっと一周回って、元に戻っての再会です。タイトルも変更しました。いろんなことがあって、中断していました。やっと落ち着いたのでまたはじめようとしています。

エッセイの集成本に続いて、対談の本が出た。

これまで古井の対談は、そんなたくさんは読んでしない。

結構、長いものの集成で12人ほどとの対談になっている。それも、文学に特化している。

面白いなぁとおもって読んでいる。

 

途中まで読んで、一番面白いのは、哲学者の木田元との対談だった。

該博な知識の応酬で、さすがに元ドイツ文学者と思わせる。

 

つい線を引いてしまったのは次の文章だった。

 

経済主義が飽和点にきたときにどうなるかというと、もう一度文学的哲学、哲学的文学の出番じゃないか。これが言語の闘争、ひょっとすると最後の闘争じゃないか。

 

これは、ヨーロッパの情況について述べているのだけれど、それは日本でも同じことで、日本文学もおわっていると言っている。日本も経済状況が飽和点にきて、そこでどうにもならずに停滞の20年が過ぎて、30年になろうとしている。にっちもさっちにいかない状況だ。老人たちが支配して、どうにも時代が動き出さない。そのことは分かる。

 

こんな時代の文学は、エッセイズムでしかないと言ったけれど、私は、原則的に経済的飽和点というのはないと考えているので、新たな思想が出てきていないのだと考えている。古井の危機感とはすこし異にするけれど、間違いなく停滞であることは確かだ。

 

言語による主知主義には限界があるとして、瞑想やヨーガを始めたけれど、言語ほどには明確感がないので、とらえどころがないのは確かだ。しかし、可能性はある。

 

 

それはともかく、古井由吉の圧倒的な知識量にはあらためて驚かされる。

エッセイ集より、話し言葉なので、わかりやすいことは確かだ。