初めての海外が1人で3ヶ月。

今思うとなかなかの冒険だった。

今でこそスマートフォンの翻訳機能で海外一人旅の不安は少なくなっているかもしれないが、当時はそんなもの無く(自分が知らなかっただけかも…)、電子辞書を買い、日常会話の載った小さな本と共に旅立った。




私が出せる精一杯の金額では、スムーズにニュージーランドまで行けるはずがなく、シンガポールで乗り換えして5時間位待ち、クライストチャーチ(オークランドだったかな?記憶が怪しいのはケモブレインのせいにしよう)行きに乗り、クライストチャーチからウェリントン行きの国内便に乗り換えた。

乗り換えのたびに、だんだんと日本人が少なくなっていき、国内便では1人アジアの人だった。




ウェリントンに到着して、1番に感じたのは『もう、座り続けなくていい!!!』という臀部の悲鳴と喜び。

とにかく同じ姿勢がツラかった…




ゲートを出ると、私の名前を掲げたおじさんがおり、挨拶をすると容赦なくペラペラと笑顔で何か言っている。

私の専門学校での1年は何だったのか…と愕然とし、到着してすぐに、これからの生活に強い不安を感じた。

手元の簡単なスケジュールと、かろうじて聞き取った『スクー(School)』で、語学学校に行くことを理解し、車に乗る。



おじさんは車中も何やら話していたが、ほぼ聞き取れず、終始私は苦笑いの表情をしていたと思う。




自然の景色から街並みの景色に変わり、これから通学する語学学校に到着すると、ホストマザーのメリーナという女性が待ってくれていた。


おじさんが私を引き渡すとメリーナは挨拶もそこそこに『ここが学校でバスで通うのよ』的な事を言い、バスで一緒にメリーナの家まで帰った。



メリーナは夫と離別しており、2人暮らしの始まりだ。


以前、息子が使っていたという部屋を貸してもらい、整った寝具ですぐに眠りについた。




《今現在》

白血球と好中球が激減しており、感染症にビクビクしながら今日も仕事に行ってきます。

皆様もお身体に気をつけてー