これまでどれくらい『うるさいわ、ハゲ!』と、男女問わず、ちょっと頭髪が寂しくなってきた人や波平さんみたいな人等に対して心の中で罵ってきただろう。
フッサフッサの人に対しても、捨て台詞のようにそんな言葉を使ってきた。
それが今は、、、
巨大ブーメランになって、自分に帰ってきている。
もはや、私に対して『ハゲ』という言葉は、触れてはいけないワードになっている。
抗がん剤の副作用で97%くらい抜けた。
残りの3%は頑張って耐えてくれていたけど、そいつらの散らかりようが酷くて、自分で剃った。
おこがましい事は重々承知で例えると、悟りをひらいた尼のよう。
事は、右腋窩再発に遡る。
主治医の言う、『◯◯かも。』が『◯◯です。』の意味だと確定され、私は左乳房全摘、背中からの再建&右リンパ節郭清の手術を受けた。
腫瘍の摘出後に病理検査に出され、その結果は左乳がんはステージ1、右リンパ節再発はステージIIIだった。
術後の治療として提案されたのが、抗がん剤の点滴8クールと分子標的薬を2年内服、ホルモン剤10年内服。
内服のみだと、5割再発予防ができ、抗がん剤をすれば9割予防ができると説明を受けた。
全部やっても1割は再発するのね…
私の引きの良さからすると、不安だ。
副作用もあるし、独女なので働けなくなるのも不安。
抗がん剤をする、しないには随分悩んだ。
悩んでも自分では決められなかったので、息子に相談してみたら、「やってみて、しんどかったら途中で辞めてもいいんじゃない?」って言った。
『途中で辞めることができる』という選択肢を待つことで立ち向かえる事もある。
息子よ、あんた良いこと言ってくれた。ありがとう。
そして、今、私はしんどいながらも5クール乗り切った。
右腕はリンパ浮腫でパツパツになり、弾性スリーブ、弾性グローブの世話になり、階段を1階分登るだけで息切れしながらも、何とか生活している。
もちろん、もっともっとしんどい思いをしている人は沢山いるだろう。
自分が1番不幸だなんて思っていないが、ちょっぴり神様は意地悪だと思ったりした。
このブログの1番最初の投稿は、抗がん剤をしながら書いた。
ちょっとでも見てくれている人がいると思うと元気が出た。
それが私の大きな支えになっている。
文字が並ぶだけで、カラフルさもない文章だけど、自分のためにも可能な限り続けていきたい。
つたない文章を見てくださっている方々に感謝。
現状と合わせながら、ガイドの頃から自分の人生を振り返ってみようと思う。
またよろしければお付き合いください。