ガイドをしていた30年近く前の頃から、急に今の話。

振り返れば、20歳くらいまでの試練は他の方々から見ても『そんなもんか。』くらいだったかも知れない。

自分で見返しても「甘いな」と思う。



今の私の話は、約6年くらい遡らないといけない。

30年近く前だったり、今だったり、6年前だったり、年代が飛び飛びでごめんなさい。



41歳の時、中年が受けるべき健康診断を受けた。

健診専門のクリニックで、血液検査の結果とかリアルタイムにスマホに出てくるような場所だった。


血液検査の結果は、健康に大きな影響はないもののデブを示し、子宮がん検診では何度座っても落ち着かない回転する椅子に座り不快な思いをし、初めてのマンモグラフィーでは、自前の乳だけでは挟み込めず、技師さんが餅を寄せるように脇下からの肉を上手に挟みつつ、タイミングを見て自分の手を抜くという神業を間近で見た。


バリウムは初めて飲んだが、一気に飲むものだと思い勢いで喉に通すが、「食道をみるので飲み過ぎです。」と注意を受け、ゲップを我慢しながら(若干出た)板の上で右回り左回りをし、口周りを真っ白にしたままで下剤を渡され、疲れ果てて家路についた。



落ち着いてから結果を見ていると、判定はD。

項目はマンモグラフィーで、何やらよくわからない文言が書いてあった。


D判定を放っておくのもなぁ…と思いながら、その頃できたばかりの乳腺クリニックに行った。

健康診断と同じような技師さんの神業で再度マンモグラフィーを撮り、エコーと太い針で組織を採取し(めちゃくちゃ痛かった)、2週間ほど後に結果を聞きに行った。



『右乳がんです。』と先生。



ステージは1。



これだけ医療が発達していても、取り除かなければどんどん転移してしまうので、専門の病院を予約してもらい、健康診断を受けた年の11月に入院、手術、同時再建をした。

がんのしこりが乳頭近くだったため、全摘を勧められ、術後はツルッとした乳になった。



私のような小さな乳の場合、自家組織再建は背中の筋肉と脂肪を持ってくるそうだが、右腰にタトゥーを入れていたためお腹の肉を再建に使った。

手術直後の印象は、パッチワーク。



その後ホルモン剤を飲みながら経過を見ていたけれど、精神的に不安定になってしまったので、通っていたメンタルクリニックの先生、乳腺外科の先生と相談し、内服をやめて年に一度の経過観察になった。

年一度の検査では、腫瘍マーカーもマンモグラフィーも特に異常なく過ぎる。



術後5年目の定期受診も同様。

5年経つのかーなんて呑気に思っていたら、左胸の触診をしていた先生が『?』という顔になり、細い針で細胞を取る事になった。

さすがに専門医かつ専門の病院、告知のタイミングとか何もなく『がんかも知れない』と言い放つ。

受け入れる姿勢がまだ整っていません!!!と思った。



腫瘍マーカーもマンモグラフィーにも現れないものを見つける先生、スゲー。



※長くなってしまったので、また後日に続きます。