説教題 「主 イエス・キリストを着なさい」


聖句 新約聖書 ローマ人への手紙第13章9節~14節


「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。
そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。



今回の礼拝は、いつも二世の子供たちと広く関わりを持っていらっしゃるI所長の説教でした。

神霊に満たされたと感じる素晴らしい礼拝でした。

久しぶりに会ったかつて共に歩んできた先輩方に出会い、かけてもらう言葉、そして、かつて共に歩んでいた兄弟姉妹との再会と「おかえりなさい」という神様の暖かい心情。

すべては神様の予定の下にあり、神様が準備され神様が共にいた導き。
その時にはたとえ当の本人は大変な思いを通過していたとしても、その先に大きなプレゼントを用意して待っている神様。そして、大変な思いをしても、それを越えるならば、それを共に喜び、本人以上に愛しく親なる心情で慕わしく思う神様。

そのような出来事全てが感謝と感じるのだと説教のはじめにI所長は仰いました。


当たり前のようにここにある環境。私が今までやっていたこと。

空気。呼吸。祈ること。「天のお父様」と呼びかけられるということ。文先生ご夫妻のお写真。

あってあるものを大切に出来ていたのだろうか?




そのような説教の内容に、私はその前日に聞いたフィリピンの少年のスピーチを思い出しました。
日本のボランティアからの支援を受けて、学校に通っている少年です。

家の生計は大変で、建築家になりたいという夢を母親に誓ったものの、家の収入では本当に難しい。その少年は日本のボランティアの支援を受けて、学校で頑張って勉強をしています。
少年は、日本を訪れ、そうしてスピーチをすることが出来て、本当に嬉しい。人生の一大事だ。といっていました。


夢を持っていたとしても、それを叶えるのには到底難しい環境の中に生きている人がこの世界には多くいるのだと感じました。

日本に生まれ育った私の与えられている環境は、どんなに有難い環境なのだろうか!!!と感じたのです。だからこそ、多くの可能性を世界の為に与えて生きたいと思ったのでした。


日々、神様と文先生ご夫妻の真の愛のもとにあるということ、

子女として、最高の親孝行を為して生きたいと心に決意させられた恵み多い礼拝でした。



I所長、ありがとうございました!

神様の恵みが全ての方に降り注がれますよう・・・。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!!


ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村