説教題 「神様の心情を知る者となろう」


み言 訓教経(上)「天の心情を誰が知っていたか」より

神様の心情を知る者となろう

み言が勢いよく伸びている所に生命が躍動します。み言が自分の体をかすめて過ぎるときに、歓喜と解放感が押し寄せてきます。
しかし、それだけで満足してはいけません。そのみ言の背後には、血涙のあとがあることを知り、悲しい声を聞くことができなければなりません。
それを知り、またそのように行くことがあったとしても感謝して、おそれ多い心が先立つ者であってこそ、神様の前に立つことのできる息子、娘になるのです。

六千年間、人間はあまりにも神様の心情を知りませんでした。しかし、天が喜ぶことの出来る一時があるとしたら、それはいかなる時でしょうか。
心情で天を紹介することのできる時です。善なる人を通じて死亡世界の人間を生かそうなさる神様の心情を知り、その心情を解怨するために神様の代わりに生かしてあげる責任を負って戦い、神様の心情を宣布する人がいるというならば、天は全てを惜しまず、その人の前に残してくださるのです。

これから私たちは誇りましょう。残しましょう。私達の名誉を残すためのものではなく、私達の家門を誇るためのものでもなく、私達の何かを立てるためのものでもありません。ただ一つ、私たちが誇ることとは何でしょうか。
神様の心情です。その次に誇ることは、神様は私達の父であり、自分は神様の息子、娘であるということです。
個人がそうであり、家庭がそうであり、民族がそうであり、世界がそうであり、天上天下がそうであるとき、神様の願いが成就されるはずであり、神様の恨解かれるはずであろうし、神様の天地創造の理念は完成されるはずです。

このような責任が私たち各自の中にあるということを知り、今まで神様の心情を知らなかったとしても、生きている間に知らなければなりません。
生まれながらにして、あるいは生きている中で、神様の愛の心情を知って、真なる息子、娘として不平不満なく、無言で消え去ることができる私たちとなれば、皆さんには天国が問題ではありません。
天上の王国で、天の貴族になるに違いありません。



今回の礼拝は、荒川教会と荒川青年支部との初めての合同礼拝でした。

普段、荒川青年支部は20代~30代の青年が集っています。一方、荒川教会ではご家庭を持つ方々が多く集っています。

いつもより広い場所で、三世代が集い、神様に礼拝を捧げられることに新鮮さを感じました。

そして、そんな私たちを見つめる神様という方は、本来なら家庭に降りていきたかったし、家庭を愛したい神様であったのだと感じました。

そして、聖歌隊の賛美もいつも以上にキラキラして、感動しました。



神様の心情を知り、真のお父様と心情一体となって、今週も頑張って行きたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


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