説教題 「信仰による祈り」

聖句 新約聖書 第5章13節~18節


あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。
義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。


エリヤという人は、たった一人で国家と闘った人です。

それは、神ゆえであるのですが、誰もが思い描くすべての権力を手にした力強い「神」の業ではなかったのです。



私は、生命の危機に晒された時、神に祈り(懇願し)その危機から逃れたという経験があります。

その経験は、ほんの十分間の出来事で今思うと夢を見ていたかのような経験でした。

極限の状況の中で、最後には神を求め、まるでモーセが紅海を杖で割ったように

神がその祈りを聞いて下さったからこそ、私はここに生きていると断言出来るのです。



エリヤはたった一人でバァルの神官たちと闘い、勝ちました。その後、死の恐怖におびえホレブ山に隠たところに神は囁き掛けるのです。神様もあたかも疲れきった声で。

そして、神様がエリヤに準備したのは食事と休養。
それから国と闘うために七千人の兵士たちを準備されました。


弱々しくうつ状態になったエリヤに、同じく神に対する祈りをささげる者たちを神様が準備して下さったように、私たちにも、同じく神に信仰し祈りをささげる兄弟姉妹たちを与えて下さいました。


神様が貴く思う、神様が愛してやまない神の家族たる兄弟姉妹たちを信じ、一つになりなさい。


聖書には多くの奇跡が書かれていますが、それが理論で可能だったかそうでないのか疑うより以前に
神様の多いなるみ業を信じ、神様の家族を信じなさい。


そのような礼拝のみ言葉でした。


すべて神様のみこころのままになされ、神様の手足として私を用いてください。
最近の私の祈りです。

祈り、みことばを信じます。愛してやまない神様に今日も一日感謝と賛美を捧げます。



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