説教題 「神の心情を知る」

聖句 旧約聖書 民数記第20章8節

「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。


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霊操(れいそう)とは、イグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会の霊性修業、またその方法を記した著作。

「体操」で身体を鍛えるように「霊操」は霊魂を鍛えることを目的とする。修業の到達点においては神と深い人格的交わりを持つ=神の御意志を見出すことが目指される。

=================================================================Wikipediaより引用====


また、プロテスタントの教会では「デボーション」という、霊性を高め、神様の声を静聴するという祈りの方法があるということです。


H牧師が以前通っていたプロテスタントの教会の牧師さんは、今回の聖句の箇所についてこう仰っていたそうです。

神様の御心はモーセが岩に命じて水を出すところにあったのに、モーセは杖で岩を二度打ってしまった。このように全て神の御心に沿うようになせなかったところに、モーセが生きてカナンに入れなかった原因がある。

しかし、H牧師も仰っていたのですが、神様が「あなたは、つえをとり、・・・」と言っているだけに、そりゃあモーセにとっても、手に持った杖で岩を打ちたくなるような状況でもあったのです。


それだけに、神様の御心を果たす難しさ、

その背後には、神様の御声以上に今までの自分の経験・価値観といった自分の心の声に知らずに従ってしまう人間の歴史を感じるのであります。

厳粛な神様ーそれは、モーセという中心人物をサタンとの歴史的な戦いに必ず勝利させなければならなかった神様の切実な心情があったのでしょう。



H牧師はこの荒川青年支部のこの教会を「聴く教会」にしていきたいと仰いました。

それは、霊性研ぎ澄まし「神様の御心を訪ね、神様の導きによってなす教会」。



私自身の事ですが、ここ最近祈りを深められないという悩みがありました。
先ほど、H牧師が礼拝で仰っていた「霊操」「デボーション」に少しでも近づけて、神様が私に訴えかけられる声を聞いていこうと心を静め祈りました。

その時、神様が私に訴えかけてきた言葉、それは


愛しなさい

愛しなさい

愛しなさい

愛しなさい


(裏切られたとしても、愛していきなさい。)

そのような訴えでした。



人を信じることに臆病になっていた自分へのメッセージを聴きました。


またこの一週間、このメッセージと、いつも神様の声を求め、感じながら歩んで行きたいと思います。


最後まで読んでくださってありがとうございます!

この場で皆様と出会えたことに感謝いたします。




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