説教題 「真理があなたを自由にする」

聖句 新約聖書 ヨハネによる福音書第8章31節~36節

イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。
そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。
イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。



礼拝の初めに、文鮮明先生が今年の真の子女の日(2010年11月6日)の名節に歌を歌われたという映像を見ました。韓国の「故郷むじょう」という歌でした。(むじょう・・・無情なのか、はたまた無常、無上?わからず、ひらがなにしてみました。)

歌う途中に声を詰まらせ、故郷・故郷の親族に対しての言うに言われぬ思いを抱かれている文先生のお姿を見ました。

文先生のご出身は今の北朝鮮に当たります。

若き日に招命を受け、91歳の今の今まで決して安らげることなく天のみ旨に忙しく邁進されてきた文先生。

そのお姿を感じるとき、早く、文先生を安心して差し上げられるようなこの世界にして行かなければと痛切に思わされるのです。

H牧師もその映像を見て、「真の御父母様(文先生ご夫妻)のいらっしゃる所が、私の本郷の地です。」という実感を持ったという事を仰っていました。


さて、今回の礼拝で感じたことは、かなり心情の世界。なかなか文章で伝えづらいのですが・・・

自由とは・・・

例えば、アルコール中毒症状の人にアルコール中毒症状があると自覚させるのは、かなり大変なことだそうです。
そのように私たち人間も、「魂の」自由がないことを自覚するにはかなり大変なことでしょう。

自分自身がそうであることを認めるというのは、とても難しいことかもしれないけれど、だからこそ自分の力以上の力を感じ、神様に委ねるということを感じることが出来るのでしょう。


ローマ10章10節

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。



最近、「信じる」という言葉が薄っぺらくなってきてしまって、不平不満が多くなってきている、そんな現状があるそうです。確かにそう思います。


上の聖句のように、真理を信じて、それを実践するということ。

今日も明日も明後日も、いつまでも変わることなく「神様を信じます」と言葉にして神様を慕う変わらない心で歩むこと。

そんな歩みをしていきたいと思います。


最後まで読んでくださってどうもありがとうございます。
今日は、なかなか言葉にまとまらず、感じたことの一端でも心に伝われば幸いでございます。

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