説教題 「受けるよりは与えるほうがさいわいである」


聖句 新約聖書 使徒行伝 第二十章 32節~35節


今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人人々とともに、御国をつがせる力がある。

わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。あなた方自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。

わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱いものを助けなければならないこと、また『受けるよりは与えるほうが、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。



今回の礼拝は、今の自分にふさわしい内容でした。

日々生活する中に、神様を知りながらも、神様の目よりも人目を気にしてしまい、神様が愛するように周りの方々を愛することが出来なかったこと、

またそれ以前に、そのような努力や投入することさえも、人目や結果を気にしてしまい、臆病になっていたことに気づかされました。


イエス様は一般的にはキリスト教の開祖と言われていますが、イエス様は生前、自分の教えを広めようと生きていたわけではありません。キリスト教はイエス様の死後、弟子たちがイエス様の福音を述べ伝えていくことで世界に広まった教えでした。


イスラエルの民に裏切られても、十字架に磔になったその最期の時まで、愛を叫んだそのイエス様の完全利他の精神に時の権力が動き、その後の歴史が出発していった事実があります。



一方、今の日本は、不景気だから今ある自分の生活を守ろうとか、自分が傷付かないようにと内向き内向きな思考が強くなっています。


私自身の中にも、そんな気持ちがあることに気づかされました。


自分が傷付くことも顧みず、人を喜ばせるために、人の笑顔を見たい為に投入していく。その中にこそ、本当の喜びがあり、救いがあり、癒しがある。という大事なことを教えていただきました。


尊敬するイエス様、そして敬愛してやまない真の御父母様がそのような生き方、生き様をされていらっしゃるということ。


そのような生き方を批判すること、誤解することは簡単かもしれません。ただ、そのような生き方を理解し、選び、歩むことは簡単ではありません。


しかし、私はあえて後者のような生き方を生きたいと思います。


イエス様、御父母様、神様の偉大な愛に心から感謝申し上げます。




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