去年の9月から、
精神科の訪問看護で働いておりましたが、
この夏退職しましたひまわり1年持たんかったあせる



この職場では
利用者さんの、困り事を解決できるよう、
心にも寄り添いながらまずは生活面の調整。

安心して暮すための提案ができるようにと
他職種の方との連携をとるなど、
違う視点から多くを学ばせて頂きました !!



利用者さんの中にはベースに発達障がいや
コミュニケーション取れてる方はHSPかも
しれない方の二次障害が多くあるように
感じました…。


やっぱり、教育、療育など、
自己肯定感を育む子育てこそ根幹であり
社会が変わらなければいけないと
強く感じました。


やっぱり必要なことだと思います。



一人で現状を変えられなくなってしまって
からでは、ご本人には相当な努力と気力が
必要になってしまいます。



退職の理由は身体的な面がほとんどですが
精神科の関わり方での迷いもありました。
「訪問看護」は医師の指示に従い訪問
している援助。医師の診断に影響したら
ダメなので、そのバランスも難しかった。



たとえば
HSPの概念を当てはめれば共感できることも
(単語としては出さず、感情を共感するだけ)
介護サービスを連携の提案を遠回しにして
みたけど、医師から依存になると指摘されて
改めざるを得なくなったこともあって。
やっぱり、複雑で線引きが難しいチーン
私がまだしっかり学べてないのだろうけど。

もちろん利用者さんによりけりやけど、
突き放して強くなることを望んでも
患者さんは、絶望感を感じて動けなく
なってたりしています。
それに1人に向き合う時間が足りないし。
30分の訪問は安否確認なのか、
1日の訪問人数による報酬での利益率なのか。

深く話を聞いてたら、1時間なんて
あっという間に過ぎてしまう。

訪問の終わりなんて、利用者さんの
タイミングがとても大事やと思うんやけど、
精神科処方の仕分けが難しく、
医師の処方ミス(頼んだのに処方されてない)
とかで、病院に問い合わせたりして訪問の
時間が終わってしまうけど、業務で終わって
会話なしは申し訳なくて少し近況を尋ねると
そこから、大変な出来事の報告があったり、
話したかったと涙ながらの会話となったり。
昼休み返上で1時間、傾聴しました。
その時、必要と思ったから。
この状況で、時間だからと帰れるスタッフ
っていないと思うんやけど。


で、それを所長に少し指摘されて
時間で区切ること、できるでしょと呆れられ
そんな時の後味の悪さったらないよゲロー


罪悪感を感じてもそうせざるを得ないのか、
ルールなので仕方がない面はわかるけど、
自分を守るためにも枠は必要ではあるけど、
割り切って関われないのがしんどくて。



共感する能力とかいい面もあるけど
境界線がついなくなってしまうのが
裏目に出ている感じですね。

どこかで私がしたい関わり方との違いを
感じるようになってました。



そんななかでも
大変さはあったけど、何とか向き合って
訪問している時間は利用者さんの困難を
少しずつでも癒せるように関わりました。



利用者さんの苦しみ、生い立ち、混乱など
苦しみ悲しみに触れさせて頂いて
一緒に考え少しでも苦しみが和らぐように
誠心誠意向き合って来たんですけど…
身体が先についていけなくなりました笑い泣き




もともとリウマチあるのに
無理したらあかんよな。
でも、就職してわかる職場の詳細あせる




事務所の近くは自転車の訪問があったり
(この記事参照かな)




時間ギリギリでスケジュールを組まれるので
駐車場から小走りで訪問したり、

渋滞があったり、前の訪問で拗れると
次の利用者さんに迷惑かかってしまうし
(遅刻の謝罪&気が休まる時間もない)



こんな働き方あかん、調整せな。
せっかく内容は何とかこなせてても
身体面ではギリギリ(今思うとオーバー)



そんな矢先に、ケイの不調が重なって
一気に気苦労が増えたから?
気力が足らず全身倦怠感と手首と
膝と足底の痛みも嫌になって
ダウンしてしまいました笑い泣きまた我慢しすぎた




ケイが腹痛で学校へ行けなくなった
週の日曜日に、緊急電話の当番でした。
当番は休日は24時間ずっと担当。
日によったらひっきりなしにかかる電話。
大事な連絡ツールなのでなくては困るけど
この日は本当に堪えた。


家の事もあるパートでも回ってきてて
これが結構ハードで落ち着かないんですけど
この日は、ケイが明日登校はできるのか
悩んでるところに、妹からのSOS電話も
重なって、利用者さんからの件数も多く
完全にオーバーワークで。


ケイの体調不良を聞き取って対応してても
電話がかかると、途中にして仕事。
そこで限界をやっと意識し、

『私には看護師は無理』

って正直な気持ちをやっと認められました。





お金では得られない守るべきものがあるよ。
自分に言い聞かせて振り返ってみると

体調、業務システム、時間外労働、
大量退職者による業務スケジュール悪化、
息子の体調不良、人間関係による不登校、と

すごいタイミングで幾つも出来事が重なり
強制終了が去年よりも強くてビックリ。


ああ、まだ看護師とお金への執着を
外していなかったから起こってきた現象じゃ
ないかなと思えました。


それこそ、頭の中で
『いつまで経っても覚悟せぇへんし。看護師はやめとけ言うたやん。状況を悪化させなわからんかったでしょ!?だから心底で気付くまで重ねてみてたんよ。』

て浮かんできて、ああ、そうやなと…チーン




この瞬間、看護師としての人生から
やっと枠が外れたのを感じました。


会話中心ならできるかもと転職したけど
ここまでやってみて、挑戦したからわかる。



ひとつひとつの職場の経験は浅いけど、
自分もできるかもと思って飛び込んだ
いろんな業種(病棟、外来、介護、精神科)を
体験したからこそ、ああ、無理だと納得し
出来ない自分を受け入れた瞬間かも。



仕事の変わりは居るけど、
家族のことをやってもらえる訳でもない。
まず、私は家の事をできる状態に戻したい。



なかばパニックに近い感覚で、
それでもこれが正解なんやと確信を持って
2日後に退職願を所長に提出しました。




びっくり「えー!そんないきなり!
まさかそこまで考えてたの?」
「それは困る。今の状況知ってるよね。
次の看護師募集するけど、いつになるか
分からんよ。それまでやってね!」


私が大変なので減らしてもらわないと
体調が思わしくないし家事ができない、と
ずっと訴えてたのに、ホンマにまったく
予測してなかったんや滝汗
交渉は伝わってはなかったみたい。



じゃあ、募集すると求人かけたらしく
その結果、なんと!ポーン

20代精神科病院、精神科訪問看護の経験あり
超有力即戦力の看護師さんが応募された!
もちろん即決キラキラ

さらに経験はないけど
もう1人応募があり、この方も採用!キラキラ


そしたら所長が
爆笑
「今月で辞めていいよ!体調が心配やし
早い方がいいやろ?」

ってさ。

早くって言っても引き継ぎ終わるまで
かかるよと少しモヤモヤしたけど、
本当に長期にならなくてよかった!




おや、またこの流れが来たニヤニヤ
(前職は夜勤でできるできないでもめてたけど
退職後は夜勤のないクリニックになり円満)



私が退職する事は、すんなり受け入れられ
私が辞めた方が事業所の発展になるという
なんとも不思議な流れでしたアップ


どんだけ、辞めた方が良いって
言われてるんだか笑い泣き


即戦力の方の応募時期が今という流れで
私をここまで耐えさせたんかも???
覚悟できて良かった。
お陰様で円満な退職となりました流れ星
(たぶん滝汗)






さて、これからはケイのことを
少し見守らなくてはいけません。


次回は、
HSCケイの学校生活を追って記録します。