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きれいなお花はたくさんある。

しかし、ららの記憶に残ったのは、故郷のあの立派な蒲公英と、北本自然学習センターの春の枝垂れ桜と、もぉひとつあるが、今は記憶喪失していて、出てこない。

この錬成期に、美しいと感じた花は見事な自然だった。


写真には残っていない。

機材を用意できなかったのだ。

写生すればよかったと悔やまれた。


子どもの頃の記憶となると、ほとんどは写真ではなく、心象である。

成人してからはなにかとツラいことが多くなった。そのかわりにお金が貯まるかとばかり思っていた。

しかし、余り、就業をして満足感を味わった経験はなく、そのことがハンディキャップとならなかったのは、福音だった。

今も、福音派のみおしえにのっとり音楽に力点を置いて生活をたてている。


聖書と

讃美歌と

ギターとピアノと横笛をメインページにしている。

ゴスペルシンガ―で、苦労がないわけがない。

また、そのことが肥やしとなって、

一花が咲くのだ。


花は一輪、

こころの窓辺で風に揺れる。

美しいと感じた。

ラスコ―。

お金が一円とてなくても、描けたのだ。

あんなに、ゆたかで、情感に溢れた季節はそうはない。

ゆたかさと、出世や成功は背中合せにある。

青春とは、光と影がある。

光のみ知ろうとした罰のようなものだった。

これからは、


どう生きて行こう。


道を求めて、気軽に

身軽に


暮らしていけたらいいのだ。


とにかく、何かをして、そのことを続けて行きたい。


若いから、まだ不安になったりすることがある。

その分、祝福があり、福音もあるのだ。

きっと





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