昨日は、脚本家で小説家の山田太一さんの講演会に
行った。
結構近所にお住まいなので、ときどき見かけたり
道ですれ違ったりする。
普通のヒトにしか見えないんで、たぶんあまり
気が付かれていないし(笑)先生もそれがいいと思ってる
に違いない。
思った通り、静かにでも親しみやすい語り口で、
ドラマ制作の仕事をしていた頃のことから話は始まった。
若いころの先生は、現実逃避の為、本や映画に
没頭していたが、仕事をしながら世の中の事ももっと
目を向けなければと気が付いた。
いわゆる空気が読めてない人だったということだと思うが
ここから面白いのが、年を経て、読んだ詩から
必ずしもそんなこと考えすぎなくても良かったのだ
と悟ったというのだ(笑)
そんな話をとつとつと語る先生。人柄がにじみ出る。
後半は、吉野弘氏の「日々を慰安が」という詩をあげて
その日その日の悩みや苦しみを、TV番組やメディアなど
で笑ってやり過ごす(慰安、だな)、というのは
どうなんだろう、と提起する。
わが身に振り返ってイタイところもあり、先生と一緒に
考える体。
悩み苦しみも、その人にとってはきっと大切なものだから
きちんと向き合って考えた方がいいのじゃないだろうか。
いつもいつもやり過ごすだけでいいのだろか?
日々考えていることのヒントや解決の糸口になるような
事ばかり。
森先生の考える手法にしても、犬も歩けば棒に当たる
メクラ滅法でアンテナめぐらしてたらこんな答えが返って
くるのは、なんでも無駄じゃないって、これも日々の慰安
じゃないかって矛盾はあるけど、思う。思います。
来てよかった。
山田先生はきっと今静かな日々をお過ごしなのだろうが、
時々はまた、岸辺のアルバムやふぞろいの林檎たち
みたいなドキドキするドラマも書いてほしい。
さっそく来年は2月ごろドラマがあるらしい。
番組の関係上、あまり多くご紹介はなかったが、今から
心待ちにしちゃうのだ。
日々を慰安が・・の詩は吉田拓郎も「祭りのあと」で使っている。
↓これも慰安か(笑)
アメーバ大喜利はまりすぎ。ちょっと控えないと。
あとちょっとでルーキー7段て!(爆)