死刑待てなかったのか 『飯塚事件』死後再審願う妻

東の足利、西の飯塚-。一九九〇年代前半、初期のDNA型鑑定によって有罪認定された受刑者が、再審を求める二つの事件があった。「足利事件」の菅家利和さん(62)は十七年半ぶりに釈放されたが、二人の女児を殺害したとして死刑判決を受けた「飯塚事件」の久間(くま)三千年(みちとし)元死刑囚は昨年十月、七十歳で死刑を執行された。再審請求前だったが執行の時期に誤りはなかったのか。一方で事件の現場では「もう済んだ話だと思っていたが」との戸惑いが広がっている。 (荒井六貴、佐藤直子)

 「今、ここまで執行されているが、自分の番まではまだあるかな」。昨年九月、弁護団の徳田靖之弁護士が福岡拘置所で面会した際、久間元死刑囚は確定死刑囚のリストを示しながら語っていた。

 昨年十月中旬、足利事件の再審請求で、東京高裁が最新技術によるDNA型の再鑑定を実施する方針であることが報じられた。弁護団も希望を見いだした。しかし、久間元死刑囚は直後の同月二十八日に死刑が執行された。

 足利事件の再鑑定の動きを知りながら、法務省は精度の低い初期の鑑定を基に刑が確定した死刑囚の執行に踏み切った。確定から二年というスピード執行だった。

 「早く再審請求をしていれば」と弁護団は悔やむ。「足利の再鑑定が動きだす中での執行は、判断の誤りではないか」と指摘する。足利の弁護団と連携しながら、年内に死後再審の開始を請求するが、捜査に使われた試料は残っておらず、足利の再鑑定で、初期のDNA型鑑定の信ぴょう性が疑わしくなったことを突破口にしたい考えだ。

 「弁護士さんに(再審請求の)意思は伝えています」。久間元死刑囚の妻は九日、福岡県飯塚市の自宅前で心境を明かした。弁護団によると、妻は事件後も地元を離れず、働きながら一人息子を育てたという。

 「足利のことはよく分かりません。(無実だという)本人の言葉を取り上げてほしかった。(死刑を執行されたら)言いたいことを言えないままでしょ」と、記者に厳しい視線を向けた。

 飯塚市内の同じ小学校に通学する一年生の女児二人=当時(7つ)=が、登校途中に姿を消したのは一九九二年二月。現場は民家の壁に囲まれた三差路とみられ、現在も通学路になっている。

 近所の無職男性(80)は「もう済んだもんだと思っていたが、どう判断していいのか」と戸惑いを見せる。

 二人の女児の遺体は約二十キロ離れた薄暗い雑木林で見つかった。現場には三十センチほどの二体の地蔵が置かれていた。久間元死刑囚の再審請求の動きに、女児の母親は「もう結構です」とだけ答えた。

 <飯塚事件> 1992年2月、福岡県飯塚市の小学1年女児2人が行方不明になり、遺体が南東部にある甘木市(現・朝倉市)の山中で絞殺体で見つかった。目撃された車などから、久間三千年元死刑囚が浮上。女児の体内から検出された体液のDNA型が一致したことや、車のシートの繊維が女児のつめから見つかったなどの状況証拠から福岡県警が94年9月に逮捕。捜査段階から否認を続けたが、一審の福岡地裁は99年、「鑑定の証拠能力を肯定できる」と死刑を言い渡した。最高裁で2006年に確定し、昨年10月に死刑が執行された。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009061402000071.html


飯塚事件のことは、先日書きましたが、詳しい記事がありました。

足利事件と同じ時期に、DNA鑑定で有罪になりましたが、こちらは死刑判決が下され、執行されました。

私は、死刑執行があるたびに、死刑反対や廃止のことを書いていますが、冤罪かもしれない人を死刑にしては、取り返しがつきません。