6月6日は〝大ちゃん〟の命日という事で今日は輸血拒否について書こうと思います
正直、輸血拒否問題は難しい問題ではあると思います。
聖書には〝血を避けなさい〟とあるため、証人達は血を飲むことも、血液中に取り込む事もしない(輸血拒否)、という言い分はわかります。
そして現在では治療も、治療拒否の理由に関わらず、本人・家族の同意の元でなければ行う事は出来ません。
ですから、本人が輸血したくないと言えば、医療機関はその意思を尊重しなければならなくなります。また、治療の選択は個人の権利だと言われてしまえば尚更です。
しかし。。。
法改正により、2008年、東日本において消化管出血をした1歳児に対し、両親の親権を一時的に停止し輸血する事によって、その1歳児が助かったという、事例があります。
この子どもの親って、どんな気持ちなんだろう?と思います。
世の中に対してはやはりマイナスイメージを植え付けましたから、神の名を汚して良心が痛む?
でも自分の子どもは世の制度により助かり今でも一緒に暮らす事が出来る。
エホバに祈ったから、エホバが特例を作ってくれてうちの子は助かる事が出来た!!なんて思ってたりするんですかね?苦笑
親の気持ちはおいておいても、これは2世・3世の子どもたちにとって保護となる制度である事は間違いないですよね!
そもそも宗教が、人の命を左右する事柄において指示するべきではないと私は思います。
それで亡くなったとしても組織は責任とってくれませんしね。
でも無輸血で生き残る事が出来たら経験談として売り物にするって。。
ホント自分達の事しか考えていないのがわかります。
エホバは子供が無輸血を選んでなくなることを見て喜ぶんでしょうか?
また時折、
何事においても最後は自分で責任をとれと組織は言います。
ではエホ証組織にいる限りは輸血をしてはいけない!!!と言っていたら、輸血をしたくても信者であるがゆえに出来ず、まして亡くなったとなればどう責任をとれというのでしょう?
そうなったらお得意の、個人で決定した事でしょ?となりますよね?
違うよね?輸血したくても組織が輸血させてくれなかったんだよね?それでも個人の責任になるの??
都合いい時ばかり信者を縛り、都合が悪くなるとポイッとする。信用できませんね。
組織は輸血拒否について、第一に聖書に血を避けるようにと書かれているという理由を挙げていますが、その他にも感染症から身を守られるという理由も付け加えています。
その上で、血液分画製剤については良心で決めるように、と。
血液分画製剤は頻度が減るだけで輸血と同等の感染症リスクがありますから、この時点で、感染症から身を守られるという後付けな理由は成り立たなくなります。
これを踏まえた上で。。
前はよくフィブリンノリパッドは推奨されていましたよね。
輸血の代替療法のDVDでも使っていいよ~!という雰囲気で紹介されていました。
でも世の中で
フィブリンノリパッドによる感染症が増えたことにより、医療業界でもあまり使わなくなりました。そして、その感染症のニュースが広く知れ渡った頃から集会のプログラムでも輸血の代替療法のDVDは見なくなったように思います。
無理に後付けな理由をくっつけるから自分の首を締めることになるんですよね。。
長くはなりましたが、
私は自然消滅した後に輸血がどうしても必要な状況になれば、輸血の承諾書にサインします。そしてそれが自分の子どもの事になったら迷う余地はありません。
そして付随する点として献血。
献血して自分がフラフラしてしまうなら元も子もないのですが、自分の血で救われる命があるなら献血にも賛成です。
子どもだけでも、守られるようにエホ証組織が動かないのなら、一般の制度を強くしていってほしいと願うばかりです。