名古屋市いじめ自殺 裁判 | ひとり立ちできる日まで

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息子は、21歳。小中学生時代でのいじめは、
生き方、性格まで変えてしまうほどのつらい日々でした。
就職したものの、人間不信から、半年で、うつ病再発。
2021年秋からは、就労支援事業所に通所しながら、
再度、社会復帰を目指しています。
母親と、保護猫のブログです

2018年に名古屋市において、

中学1年の生徒が、いじめを受け、命をたちました。

 

学校が安全配慮義務を怠ったためとして、

両親が市に慰謝料など損害賠償を求めた訴訟の判決で、

名古屋地裁は19日、学校はいじめを認識できなかったなどとして請求を棄却しました。

 

。 

学校が実施したアンケートや心理テストの結果から、

いじめを受けることを具体的には予見できなかったと指摘。

実際にいじめを受けていたことも具体的には分からなかったとして、

義務違反はなかったと判断しました。

 

 

 

 市が設置した第三者委員会はいじめがあったと認定する一方、

自殺との直接の因果関係は明確にしませんでした。

 

 

いじめを認識しなかったと言い放つこの判断。

本当に教育現場というものをご存知なのでしょうか?

 

生徒一人一人を見ていなかったことは明確です。

それとも、「いじめ」を単なるたわむれなどと、

勝手に都合よく解釈してやり過ごす、

教師の怠慢なのではないでしょうか?

 

 

息子がいじめにあっている時、

私は何度も何度も担任に、学年主任に訴え続けました。

 

蹴られてあざを作って帰ってきた時も、

公園で集団に追いかけられ追い詰められ恐怖を感じた時のことも、

ノートに嫌がらせの書き込みを見つけた時も、

 

息子の「いじめられている」という日記も、

事あるごとに担任に報告し、加害者への指導、状況の改善を求めてきました。

 

それなのに、

二学期始まりの初日、

学年主任からの初めての電話連絡は、

 

「今日もやられちゃいました」

 

こんな言葉でした。

 

特定の加害者からのいじめを認識してても、

こんな感じでした。

 

「いじめを認識できなかった」

そのことはあるはずがありません。

 

「精神を追い詰め、孤立させ、存在を否定させ、人格を否定し、

居場所をなくし、その場所から存在を消そうとするもっとも卑劣な行動」

 

これが子供たちの中で行われているのです。

 

想像力のない教師たち、子供の立場に寄り添えない教師たち、

そして、この判決。

 

ひとりの子供がこの学校で安心を感じられなかった、

これこそが学校の安全配慮義務を怠ったとしか思えません。