今回は【大御神社(おおみじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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授与所にて書いていただきました![]()
【大御神社】
宮崎県日向市日知屋1に鎮座します![]()
御祭神 天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
御由緒
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、
創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば
往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊瓊杵尊を天降し給うた節、
尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の盤石にて、これより絶景の大海原を眺望され、
皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、
後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、天照大御神を勧請し
村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
また、神武天皇御東征の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、
鉾島と呼ばれたが、後に細島に転じたと伝えられている。
天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、天照大御神を奉斎する
御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、
大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、
神武天皇の先鋒の
天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
大御神社の社名は、天照大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、
本殿に残る天保・安政年間より大正5年までの祈願木札には
「天照皇太神宮」と記されている。 ※神社資料より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
鳥居から![]()
『社号標』![]()
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参道を進みます![]()
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奥を右手に進むと![]()
大御神社、入口に![]()
『狛犬さま』がいらっしゃいます![]()
構えの狛犬さまで、躍動感が![]()
こちらには、以前「神門」がありましたが、昨年に解かれたとのお話でした![]()
『手水舎』![]()
『拝殿』![]()
『拝殿内額』![]()
参拝させていただきました![]()
境内を拝見します![]()
社殿向って右手を![]()
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『御本殿』裏の柱状岩を![]()
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そそり立っています![]()
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海の方を![]()
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広い境内を奥に進みます![]()
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最奥には 『神座(かみくら) さざれ石』があります
境内西側奥にある「神座」(周囲30m 高さ4m)は、天孫降臨として知られる
天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が当地を遊幸された折、
お立ちになって絶景の大海原を眺望されたと伝えられる岩です。 ※神社資料より
『龍神の霊(たま)「玉」』![]()
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神座前の水窪は明らかに人工的で、すり鉢状の丸い壁面には
渦巻状の線が刻まれており、その底には(長径1メートル 短径70センチ)
の卵型のさざれ石が据えられている。
これは5000年前の古代遺跡で、渦巻状の壁面は「龍」
卵型のさざれ石は「龍の卵」を表し、当時の龍神信仰を裏付けるもの
であると云われる。 ※神社資料より
『柱状岩・さざれ石』![]()
左手の岩場には、「柱状岩」と「さざれ石」の境目のご案内がされていました![]()
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御社殿へ戻ります![]()
左手から![]()
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国登録有形文化財(本殿・幣殿・拝殿)に指定されています。
現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたものであり、
建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、
棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴。 ※神社資料より
素晴らしい御社殿や境内を拝見させていただき、御朱印帳をお預けして、
大御神社・摂社「鵜戸神宮(龍宮)」へ![]()
次回は、大御神社・東側に隣接する《鵜戸神宮》のご紹介になります![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
つづく


















