今回は【玉垂宮(たまたれぐう)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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授与所にて書き置きに日付を入れていただきました![]()
【大善寺玉垂宮(だいぜんじたまたれぐう)】
福岡県久留米市大善寺町宮本に鎮座します![]()
御祭神
玉垂命 〈藤大臣(とうのおとど)・高良大明神とも称する〉
八幡大神
住吉大神
御神徳
子授け・安産・交通安全・厄除け・病気平癒・家内安全など
御由来
創建については謎が多く明らかではないが、
景行天皇の皇子国乳別(くにちわけ)皇子を始祖とする水沼君が
当地を治められたとき、その祖神を祀ったのが玉垂宮の前身と考えられ、
平成15年(2003)に、1900年御神期大祭を終えた古社です。
藤大臣は神功皇后の三韓出兵に大功があり、玉垂宮と神功皇后との関係が深い。
『吉山旧記』によれば、藤大臣は仁徳天皇55年に、賊徒退治の勅命を受け、
この地に下り筑紫を平定し、同57年(369)高村(大善寺の古名)に御宮を造営し
筑紫の政事を行ったが、仁徳天皇78年(390)にこ の地に没し祀られ、
高良玉垂宮と諡(おくりな)されたと伝えられます。 ※神社資料より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
『大鳥居』から![]()
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くぐると 『元和鳥居』あり![]()
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奥に『惣門』があります![]()
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両脇には「門守社」が![]()
『手水舎』へ![]()
手水は抜かれてあり、失礼します![]()
先に進むと 『楼門』が見えてきます![]()
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『楼門』![]()
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進んで行きます![]()
拝殿へ![]()
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拝殿前には 『狛犬さま』が![]()
歴史を感じる狛犬さまで、凛々しいお顔立ちに見えます![]()
『拝殿』![]()
参拝させていただきました![]()
社殿向って右手より、境内を拝見します![]()
『石虎』とあります![]()
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木陰に「石虎さま」がゆったりと![]()
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『鐘楼』![]()
逆光で見えないです![]()
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『生目八幡宮(いきめはちまんぐう)』![]()
目の神様です![]()
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『獅子堂』![]()
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社殿の裏手には 『佐野神(さやのかみ)』が祀られています![]()
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「塞神(さえのかみ)」「岐神(さへのかみ)」とも書かれ、道祖神と同意とのこと![]()
正面に、陰陽の自然石が祀られています![]()
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『狛犬さま』をお近くで![]()
丸みのある可愛らしい狛犬さまです![]()
社殿を拝見します
左手から![]()
社務所(授与所)が見えます![]()
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こちらには![]()
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『御神水』がありました![]()
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社務所の横に高いものが見え、近くへ![]()
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『傘橋記念塔(からかさばしきねんとう)』![]()
久留米藩主有馬氏により天明元年(1781) 神社前の霰川に架けられた「神幸橋」は、
拔河曳橋(ばつかのひきはし)とよばれ名橋でした。
その姿が、一本の「からかさ」を開いた姿に似ていたので「傘橋」と名付けられたが、
嘉永4年の大洪水で流失し、当時の石柱を記念塔として残されています。
また、境内には![]()
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《鬼夜(おによ)》のご説明があり、「松明」とのことです![]()
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神社入口にも、ご説明されていました![]()
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最後に境内を一枚![]()
御神木でしょうか~![]()
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暫し拝見させていただき帰路につきました![]()
日本一の大松明による《鬼夜》の火祭り(国指定重要無形民俗文化財)
が行われる【大善寺玉垂宮】
広い境内には、まだまだ多くの末社、そして見どころが多くあります![]()
ご紹介は足りませんが、こちらまでになります![]()
またゆっくり参拝させていただきたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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