今回は【明王院(みょうおういん)】のご紹介です
御朱印はこちらです
寺務所(授与所)内で書いていただきました
【中道山 円光寺明王院】 真言宗大覚寺派
広島県福山市草戸町にあります
中国三十三観音8番
山陽花の寺18番
御本尊 木造十一面観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)
縁起
もとは西光山理智院常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基
と伝えられています。 その後、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や
草戸千軒の繁栄の影響もあり、鎌倉時代末期に本堂再建、
室町時代前期に五重塔を建立など、"中世・西国屈指の寺院"になります。
元和5年(1619)、水野勝成が福山藩主として入府してからはその庇護を受けます。
三代水野勝貞は常福寺に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた
明王院を合併し、当時の住職宥仙は、寺号を明王院と改め今日に至ります。
※お寺資料より
ここからは写真と一緒にご紹介を
『寺標』から
中に進むと左手に 『十王堂(じゅうおうどう)』があります
えんま大王以下十王がまつられているとのことです
参道階段へ
階段途中の左手に
『このはなさかす地蔵』とあります
お地蔵様の足元に可愛らしいお地蔵さまが
優しい表情をされています
階段上には 『山門』が
山門の柱には「御本尊」が書かれています
『御本堂』へ
『国宝 明王院本堂』
本堂の建立は、昭和37・38年(1962・1963)に実施された解体修理により、
内陣蟇股に墨書が発見され、鎌倉時代の元応3年(1321)の建立であることが
わかりました。 さらに現本堂の下に、本堂の前身と推定される掘立柱穴が
点在する事が、発掘調査によって確認されています。
様式は、全体的に和様の姿をとり、木割や細部には大幅に唐様を採用した折衷様で、
外陣の輪垂木天井は極めて珍しい手法です。
参拝させていただきました
左隣には 『国宝 明王院五重塔』があります
『国宝 明王院五重塔』
貞和4年(1348)住持頼秀のとき、一文勧進の少資を積んで造られたことが、
伏鉢の陰刻銘からわかっています。
本塔の心柱が一層の天井で止まっており、全国的にも珍しい例です。
手法も雄大で、南北朝時代の代表的和様建築です。
また、現在全国の指定文化財塔22基のうち、法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐ
5番目の古さを誇り、中世密教寺院における現存唯一の遺例と言われています。
五重塔初層内部
中央仏壇上には大日如来(実は弥勒菩薩)と不動・愛染両明王、これを囲む四天柱には
金剛界の諸仏諸菩薩、天井長押には供養の飛天や楽器、
脇間には真言八祖行状図といった絢燗豪華な密教世界が広がっている。
四天柱は向かって左手前が東柱、以下時計回りに南・西・北柱となり、
各柱に三列三段=九尊ずつ合計三十六尊が描かれており、仏壇上の中尊と合わせて、
金剛界曼荼羅の中心をなす金剛界三十七尊を形成する。
『国宝 御本堂 ・ 五重塔』
境内を拝見します
『明王院 鐘楼』
江戸時代初期の建造物とのことです
『明王院書院』 広島県指定重要文化財
小屋組は古式で手法も古く、1間毎に柱を建てた書院形式初期の技法を用いた、
江戸時代初期の建築です。
書院の左手には 『明王院 庫裡』が
「書院」とともに福山初代藩主水野勝成により再建されたものと伝えられています。
小屋組は、古式で規模も雄大であり、書院形式の初期の技法をとっています。
こちらの中にて御朱印をお受けする事が出来ます
境内を暫し拝見させていただき帰路へ
「山門」を出て左手には 『水掛不動尊』があります
階段を下り一枚
着いた頃は雨が降っていましたが、帰りには少し日差しが
参道の緑が明るく見えました
国宝の「本堂」「五重塔」が見られる【明王院】
どちらも素晴らしく、また県重要文化財の建築物も多く拝見できました
また是非参拝させていただきたいと思います
ご覧いただきありがとうございました