今回は【赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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駐車場内にある売店にて書き置きに日付を入れていただきました![]()
※現在、社務所はありません。
古代米も一緒にいただきました![]()
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【赤猪岩神社】
鳥取県西伯郡南部町寺内に鎮座します![]()
御祭神
主祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)
配祀神
刺国若比売命(さしくにわかひめ)母神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめみこと)
縁起
創立年代は不明。
西暦712年に編纂された古事記に記載があることから
712年以前の創建と考えられる。
明治4年、無挌社に列せられ、大正6年(1917)現在地に創建された
久清神社と、南部町内にある手間山山頂にあった赤猪神社が、
大正9年(1920)に合祀され現在の赤猪岩神社となった。
※資料より抜粋
約1,300年前に編纂された「古事記」によれば、大穴牟遅神(後の大国主命)には
八十神といわれる多くの兄弟がおり、その才能をねたまれていました。
因幡の国の「八上比売(やかみひめ)」に求婚し、選ばれたことから
八十神たちの恨みをかいました。
出雲への帰り道、八十神たちは「伯伎(ははき)の国の手間の山本」で
大穴牟遅神を殺そうと考えました。
八十神たちは「赤い猪がこの地にいて、私たちが猪を追いやるので、大穴牟遅神は
下でその猪を捕らえなさい。」と命令し、猪に似た石を焼いて転げ落とし、
大穴牟遅神はその石を抱いて落命しました。
嘆き悲しんだ母(刺国若比売命)は天に参り、再生の神(神産巣日之命)に請い、
遣わした二人の女神(蚶貝比売・蛤貝比売)の力と、母の愛で、
大穴牟遅神は生き返ったとされる。
神社には大国主命が抱いて落命したとされる「岩」が封印されています。
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
鳥居から![]()
『手水舎』![]()
お清めします![]()
お清めしながら![]()
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尻尾がまだ付いてるカエルさん
と出会いました![]()
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参道を進みます![]()
すると足元付近に![]()
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トンボさんが止まりました![]()
そばに『狛犬さま』が![]()
構えのポーズをされています
阿形の狛犬さまのお顔が拝見出来ず残念です![]()
鳥居があり奥には、灯籠が並んでいます![]()
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こちらにも 『狛犬さま』がいらっしゃいました![]()
目が大きく、ガッチリされています
こちらも阿形の狛犬さまが少し![]()
『拝殿』へ![]()
『拝殿額』![]()
参拝させていただきます![]()
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社殿を拝見します![]()
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『御本殿』![]()
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御本殿の裏手へ![]()
階段を御本殿裏手まで上がると 『お社』が祀られています![]()
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御本殿を後ろから![]()
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隣の囲われているこの場所に![]()
大国主命が抱いて落命したと言い伝えられる
「岩」が封印されているとのことです![]()
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右手より下ると『御神木』があります![]()
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表から拝見します![]()
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そばに詳細は分かりませんでしたが
『再生桜』とあります![]()
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奥には池が広がっていました![]()
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景色を眺めながら参道より帰路へ![]()
石造りの灯籠を![]()
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ふと手水の淵にいた「カエルさん」
を思い出し見ると![]()
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動かず同じ位置にいました![]()
参道入口には 『赤猪岩』のご説明が立っています![]()
「再生・復活の地」とされる【赤猪岩神社】
言い伝えをしっかり心にとめて神社を後にしました![]()
また是非参拝させていただきたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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