今回は【佐賀縣護國神社(さがけんごこくじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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以前いただいた御朱印になります![]()
※社務所にて書いていただきました。
【佐賀縣護國神社】
佐賀県佐賀市川原町に鎮座します![]()
明治維新以降の国難に殉じた佐賀県関係の戦没者および
第二次世界大戦後の殉職自衛官、あわせて約3万5千柱が祀られる。
御由来
明治3年(1870)、旧佐賀藩主・鍋島直大が、戊辰戦争で戦死した藩士
78柱を祀ったことに始まる。
明治7年以降、佐賀の乱などの戦死者を合祀。
当初は「招魂場」と称していたが、明治8年に官祭招魂社となり、
昭和14年、招魂社の制度改正により内務大臣指定の佐賀縣護國神社に改称。
第二次世界大戦後は昭和22年より肥前神社と称していたが、
日本の主権回復後の昭和27年に元の佐賀縣護國神社に復した。
※資料より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
鳥居から![]()
くぐると 『狛犬さま』が![]()
シャープなお顔立ちの狛犬さま方です![]()
先ずは右手の『手水舎』へ![]()
お清めします![]()
『拝殿』へ![]()
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『拝殿額』![]()
参拝させていただきます![]()
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境内を拝見します![]()
社殿を横から![]()
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少し遠目から![]()
御本殿も見えます![]()
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境内には立派な
クスノキが見られました![]()
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神社前には川が流れており、近くへ行って見ると![]()
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よく見ると、お皿が![]()
カッパさんの泳ぎの練習?でしょうか![]()
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鳥居前には、太鼓橋が架かっているのですが![]()
渡れないようになっています![]()
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暫し拝見させていただき帰路につきました![]()
続いて【大堂神社(おおどうじんじゃ)】のご紹介です![]()
【大堂神社】
佐賀県佐賀市諸富町大字大堂に鎮座します![]()
御祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
大山祗命(おおやまづみのかみ)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
宗像三女神
平将門
《大堂神社について》
大堂神社は、弘安2年(1279)創始したと伝えられ、
事代主神・大山祗命・豊玉姫命・平将門・宗像三女神を祀る。
境内中央に見られる唐獅子の灯籠には、諸富津周辺の
船頭や舟問屋・舟大工などの信仰を伺わせる。
この銅造鳥居は、県内唯一の鋳銅製明神鳥居であり、島原の乱に出陣した
初代小城藩主鍋島元茂が、彼の産土神である大堂神社に戦勝祈願成就に
寄進したもので、鳥居左柱には、銘が刻まれている。
歴史的な意義ばかりでなく鋳銅技術史のうえからも価値が高い。
この時期の鍋島氏は、島原の乱における軍礼違反により幕府の尋問を受け、
佐賀領内や江戸表では、佐賀藩改易が心配されている。
銘文中に見られる「武運彌盛」「子孫繁行」の文字は苦況にたたされた
鍋島家の安堵を願う元茂の心が表れたものと推察される。
※資料より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
鳥居から![]()
県内唯一の鋳銅製明神鳥居。![]()
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『神橋』の奥に神門が見えます![]()
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『神門』![]()
くぐって境内に入ると 『唐獅子の灯籠』があります![]()
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何とも愛らしい獅子さまに迎えていただきました![]()
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手水舎の写真が見つからず
先へ失礼します![]()
『拝殿』へ![]()
『狛犬さま』を近くで![]()
こちらは現代的な「狛犬さま」で目の色が黄色(金色?)をされています![]()
『拝殿額』![]()
参拝させていただきます![]()
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境内を拝見します![]()
『御本殿』![]()
向って右から![]()
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隣には 『樫ノ森稲荷社』があります![]()
参拝させていただきます![]()
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また、境内には大きなクスノキが![]()
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推定樹齢900年とのことですが、![]()
高さより枝の張が![]()
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暫し拝見させて頂き帰路につきました![]()
今回は【佐賀縣護國神社】 【大堂神社】のご紹介でした![]()
どちらも静かな雰囲気で、歴史を感じる神社でした![]()
また是非参拝させていただきたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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