今回は、臼杵市【八坂神社(やさかじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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授与所にて書いていただきました![]()
【八坂神社】
大分県臼杵市大字臼杵に鎮座するします![]()
主祭神
健速須佐之男尊(たけはやすさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大國主命(おほくにぬしのみこと)
相殿神
丹生嶋明神(にふじまみょうじん)
菅原神(すがはらのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
御神徳
家内安全・商売繫盛・安産など
《臼杵八坂神社由緒略記》より
本神社は、昔奥州磐前(福島県いわき市)鶴ヶ峰にお祀まつりしておりましたが
源義家(みなもとのよしいえ)公の清原氏討伐(後三年の役)の戦乱を避けるため
船により安芸国尾道を経て、臼杵庄洲崎岩ケ鼻(うすきのしょうすさきいわがはな)
に着岸し、神ノ木原(こうのきばる)に鎮座されました。
後、臼杵領の総鎮守として広く尊崇されておりましたが
大友宗麟(おおともそうりん)公がキリスト教に帰依して領内の社寺焼討を行った時
その難を避け、御神体を田町の見星寺(けんしょうじ)裏の岩窟、
海添(かいぞえ)の岩窟(現在の御旅所)、津久見の八戸(やと)、
後には日向の飫肥(おび)に御遷座申し上げておりました。
大友氏改易の後、臼杵城主太田一吉(おおたかずよし)公の命により
丹生嶋城(にゅうじまじょう)三ノ丸 廓内(くるわうち)(現在地)
に社殿を造営して御遷座、現在に至っております。
太田氏の後臼杵城主となった稲葉氏も代々崇敬の念厚く
神殿・拝殿の造修、神幸祭の創始と、それに伴う御旅所の造営
神輿ほか各種御道具の寄進がありました。
明治維新は、社名を「祇園宮」から「八坂神社」に改めましたが
現在も「祇園様」と呼ばれて市民に親しまれております。
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
『一の鳥居』から![]()
長い参道の途中にあります
下に車があり上の方を![]()
『二の鳥居・社号標』![]()
鳥居の両脇には『狛犬さま』が二列で
手前より![]()
手前の狛犬さまは愛嬌のあるお顔立ちです![]()
奥の『狛犬さま』![]()
『手水舎』![]()
お清めします![]()
拝殿へ向かう途中に『神馬』さまがいらっしゃいました![]()
『拝殿』![]()
こちらにも『狛犬さま』が![]()
『拝殿額』![]()
参拝させていただきます![]()
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拝殿を見上げると
龍の彫刻が施されていました![]()
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境内を拝見します![]()
〈摂社〉
『八幡社・愛宕社』![]()
八幡社…応神天皇・宇賀御霊神・蛭子神
愛宕社…火産霊神・加具土神・大物主神
『粟島社』![]()
御祭神…少名彦名神
『本護稲荷社(ほんごいなりしゃ)』![]()
御祭神…宇賀御魂神・健速須佐之男神・大市比賣神
参拝させていただきました![]()
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御朱印をいただき、外より社殿を拝見します![]()
社殿を横から![]()
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網がされてあり、見えにくいのですが細かい龍の彫刻が施されています![]()
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脇社にも彫刻が![]()
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暫し拝見させていただき帰路につきました![]()
最後に『参道の奥の一の鳥居』を一枚![]()
城下町臼杵に鎮座する【八坂神社】
白い塀と社殿の景観が美しかったです![]()
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また是非参拝させていただきたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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