今回は【鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)】のご紹介です
御朱印はこちらです
前回いただいた書き置きの御朱印になります
※授与所にて書き置きに日付を入れていただきました
【鶴嶺神社】
鹿児島市吉野町、仙巌園横奥に鎮座します
御祭神
島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族
及び分家筋の玉里家歴代当主とその家族が祀られています
歴史・御由来
幕末の頃から廃仏毀釈運動の煽りを受けて薩摩藩領内の寺院を
廃止する機運があったが、明治2年3月24日、島津忠義の正室である
暐(てる)姫が死去した際葬儀を神式で行うことが決まったことをきっかけとして
薩摩藩領内の寺院の排斥が一気に進行、かつて島津氏歴代当主の菩提を弔っていた
福昌寺も廃絶の憂き目にあった。
その代わりとして同年11月に忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に
祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と号したのに創まる。
なお、同時に従来の菩提寺で保管していた歴代当主の肖像画や宝物などは
竜尾神社をはじめ他の神社へ移された。
明治6年(1873)に県社に列し、大正6年(1917)に島津氏歴代の別館地
であった事から、祭神とも縁が深い現鎮座地を当時の当主忠重から寄進されて遷座
神社名を鶴嶺神社と改称した。因みにこの名称は旧鎮座地に由来す。
ここに祭られている島津義弘の娘・亀寿姫(かめじゅひめ)は
地元では“持明院様(じめさあ)”の名で親しまれ
非常に美しく賢い女性だったため、この鶴嶺神社を参拝すると
心身ともに美しくなるといわれています。 ※資料より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を
鳥居から
『社号標』
先ずは、上がって右手の『手水舎』へ
今回は予防で、直接お清め出来る様に変えてありました。
手水鉢には島津家の家紋も見えます
お清めします
『拝殿』へ
参拝させていただきます
社殿を横から
奥の『御本殿』は、修復中の様子で近くでの拝見は出来ませんでした
木々に囲まれた広い境内ですが、今回は半分ほどになっています。
【鶴嶺神社】の敷地の隣は《仙巌園(せんがんえん)》になります
仙巌園の奥の方かと思いますが、こちらから桜島が少し見えます
《仙巌園(せんがんえん)》
万治元年(1658)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸です。
28代斉彬もこよなく愛し、篤姫など多くの人を魅了しました。
桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観を楽しむことができます。
※資料より
現在は、段階的営業再開とのお知らせがされてあります。
参拝を終え階段へ戻ります
階段途中の左手には
『源頼朝公御石塔』があります
更に奥を見ると『狭野杉』が
宮崎県「狭野神社」よりの奉納杉とのことです
階段下りの右手は授与所になります
本来はこちらの授与所にて御朱印や御守りをお受け出来ます
【鶴嶺神社】参拝後、仙巌園最寄りの「両棒餅(ぢゃんぼもち)」のお店へ
鹿児島に来て時間がある時には必ずお邪魔します
ぢゃんぼとは、鹿児島弁で武士の大小の刀のことをいいます。
漢字で書くと「両棒」です。
ぢゃんぼ餅は2本の竹串を柔らかいお餅に刺して、
砂糖醤油などでつくった甘めのタレをからめて焼いたもので、
鹿児島で人気の名物となっています。 ※資料より
何軒かお店があり、お店によって少しタレの味が違うかなと思います
目の前には錦江湾が広がり桜島も見ることが出来ます
何故か…海のご紹介が晴れに当たりません
今回は島津家が祀られています【鶴嶺神社】
そして周辺のご紹介をさせていただきました
また是非伺いたいと思います
ご覧いただきありがとうございました