今回は【彦嶽宮(ひこだけぐう)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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社務所にて書いていただきました![]()
※お留守の際には、書き置きがご準備されています。
【彦嶽宮】
熊本県山鹿市に鎮座します![]()
御祭神
《上宮》
伊弉諾神(いざなぎの神) ・伊弉冉神(いざなみの神)
事解男神(ことさかおの神) ・速玉男神(はやたまおの神)
合殿
天児屋根神(あめのこやねの神) ・経津主神(ふつぬしの神)
武槌神(たけみかづちの神) ・底筒男神(そこづつのおの神)
中筒男神(なかづつのおの神) ・表筒男神(うわづつのおの神)
《中宮》
月夜見神(つきよみの神) ・彦火火出見神(ひこほほでみの神)
《下宮》
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂神(うがのみたまの神)
合殿
素戔鳴神(すさのおの神) ・健磐龍神健磐龍神(たけいわたつの神)
彦御子神(ひこみこの神)
御由来
第十二代景行天皇の時代(皇紀731年~790年 西暦71年~130年 )に
クマノガタ(熊の県)の熊津彦(くまつひこ)が謀反をおこし
天皇は景行十八年四月に御軍を率いて九州に上陸され
高天山(震嶽)に行宮を営まれました。
熊津彦は土蜘蛛の津頬(つちぐものつつら)と共に兵を進めて夜中に天皇を襲いました。
天皇が行宮において諸神をお祈り遊ばされますと、彦嶽の頂上より
高天山に霊感があって、高天山は大いに振動し、賊徒はたちまち敗走して
天皇の大勝となりました。
天皇は進んで日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を誅し給い
お帰りの途中に神恩に感謝して、彦嶽三所に神宮を造立されたのであります。
これが、彦嶽三所宮の創建であります。 ※彦嶽宮由緒記より
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
《下宮》より参拝させていただきます![]()
階段を上がると『楼門』があります![]()
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『楼門』の彫刻![]()
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中に進むと左手に「手水舎」が![]()
手水鉢でしょうか…![]()
隣にもあり![]()
こちらでお清めさせていただきます![]()
拝殿への途中に『狛犬さま』が![]()
どちらの狛犬さまもピントが
すみません
『拝殿』へ![]()
参拝させていただきます![]()
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境内を拝見すると、こちらに『絵』が見えます![]()
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奉納されてある『絵画』![]()
暫し境内を拝見した後、『中宮』 『上宮』へ向かいます ![]()
『下宮』を出てすぐの左手奥に「金比羅宮」があります![]()
参拝させていただき
進みます![]()
こちらからが登り始めです![]()
笹の落ち葉が滑ります![]()
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岩場を気を付けて登ると![]()
『中宮』が見えてきました![]()
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『中宮』![]()
額には御祭神が書かれています![]()
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中宮を後にして、『上宮』へ向かいます![]()
ここまで約30分ほど登り、なかなか大変な道のりです![]()
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杉並木を進むと![]()
険しい道が終わった様で、整備された道に変わりました![]()
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立て札があり「クスノキ」が群生しています![]()
少し進むと、いよいよ『上宮』が見えてきました![]()
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『上宮』へ![]()
御祭神が書かれた額が見えます![]()
参拝させていただきます![]()
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社殿を横から![]()
辺りを散策します![]()
これは「山頂」のしるしでしょうか![]()
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展望所があり、説明がありました![]()
景色を二枚![]()
頂上で空を見上げて![]()
眩しいです![]()
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帰路につきます![]()
途中、道を間違えて進んでいると![]()
この様なご説明がありました![]()
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伝説 ~彦岳と不動岩の首引き~
ここの山は彦岳といいますが、俗に権現山と呼ばれています。
昔、この頂上に姫龍神を祀る彦岳権現宮があり、この山の2里四方は
神領だったといわれています。
この権現と三玉地区にある不動岩とは異母兄弟で
母は実子の不動岩を可愛がっていました。日常の食べ物も不動岩に小豆を
権見には大豆を与えていました。
ある日、母は双方に首引きをするように命じ、買った方に大昔から伝わる
水、火、土の三つの玉を授けるといました。そこでお互いは首に縄をかけ
目を円くして腕を怒らし、かけ声も勇ましく引き合いましたが
大豆を食べていた権現の力が強く、不動岩の首は飛んで久原山の麓に落ちました。
首根からは血が流れでて、三玉地区の土は赤土になってしまいました。
首引きで両方から力一杯に踏ん張ったので、足下の土はむくむくとうず高く盛り上がり
首引きの縄の間にそびえ立ち、縄にこすられて、揺るぎだしました。
この土の山は「揺ぎ岳」と名付けられ、頂上には縄でこすれた
二筋の凹みが残っています。
また、古くから竜神のすがたは一つの玉を咥え、二つの玉を各々つかんでいますが
それは、権現の勝利をあらわしたものと、言い伝えられています。
※資料より
気を取り直して上へ戻ります![]()
下り口が見えてきました![]()
ここから下りて行きます![]()
帰路を一枚![]()
無事に下山できました![]()
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『下宮』には何度か参拝させていただいてましたが
今回初めて『中宮』と『上宮』へ伺う事が出来ました![]()
なかなか大変な道のりではありましたが、山頂からの景色は素晴らしく
達成感をいただけました![]()
また是非伺いたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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