今回は【吉備津神社(きびつじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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授与所にて書いていただきました![]()
御朱印帳もいただきました![]()
桃太郎伝説のある吉備津神社の素敵な御朱印帳です![]()
【吉備津神社】…備中國一宮
岡山市北区吉備津に鎮座します![]()
吉備の中山(標高175m)の北西麓にあります。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
相殿神
御友別命(みともわけのみことのみこと) … 大吉備津彦命の子孫
仲彦命(なかつひこのみこと) …大吉備津彦命の子孫
千々速比売命(ちちはやひめのみこと) … 大吉備津彦命の姉
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) … 大吉備津彦命の姉
日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) …大吉備津彦命の兄
倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) … 大吉備津彦命の妹
彦寤間命(ひこさめまのみこと) …大吉備津彦命の弟
若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) …大吉備津彦命の弟
御由来
大吉備津彦大神は、記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一として
この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を
造られたとされています。
当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては
文献もなく確かなことはわかりませんが、ただ言い伝えによると
一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命(カヤオミナルミ)
という人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると云われております。
諸説ありますが
「桃太郎」のお話のもととも云われる温羅退治のお話しが伝わっています。
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
駐車場付近の松の参道を一部![]()
「手水舎」へ![]()
お清めします![]()
「手水舎」の傍に『矢置石』が![]()
ご説明があります![]()
社標![]()
参道へ![]()
進みます![]()
奥に朱色の建物が見えてきます![]()
『北隋神門』です![]()
「国指定重要文化財」…室町時代、天文11年(1542)に再建されています![]()
更に進むと入口があります![]()
中へ入ると「拝殿」が目の前に![]()
繋がっていますので少し横から![]()
「拝殿額」![]()
参拝させていただきます![]()
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社殿を横から拝見します![]()
《国宝 本殿・拝殿》
「国宝 本殿拝殿」
本殿の大きさは桁行き48尺3寸(約14.6m)、梁間58尺3寸6分(約17.7m)
棟高(土台下端から箱棟上端まで)39尺6寸(約12m)、建坪 78坪3強(約255m²)
の大建築であり、京都の八坂神社につぐ大きさがあり
出雲大社の約2倍以上の広さがあるとのことです。
本殿は「比翼入母屋造り(ひよくいりもやづくり)」 とは
入母屋の屋根を前後に二つ並べ同じ高さで繋ぎ
一つの大きな屋根にまとめたもので、全国でも唯一の様式であることから
「吉備津造(きびつづくり)」とも呼ばれています。
拝殿は本殿の正面に接続して突き出した建物で
柱間は正面1間(26尺6寸4分) 側面3間(32尺2寸8分)
棟高39尺(約 12m) 建坪23坪強(約78.5m²)の大きさがあります。
御朱印をいただきに社務所(授与所)へ![]()
「拝殿」と授与所になります![]()
こちらで御朱印をいただきます![]()
背中側に社務所があり、横に『大イチョウ
』があります![]()
「社務所」と「大イチョウ」の間の奥には庭園があり![]()
綺麗な鯉が寄ってきました![]()
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庭園の横は「祈祷殿」があり、手水もあります![]()
お庭の拝見も終え 「一童社」へ![]()
お社の前には『祈願トンネル』があり、くぐらせていただきます![]()
「一童社」![]()
ご説明![]()
参拝させていただきます![]()
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参拝後、トンネルを見ますと![]()
激励の文字がありました![]()
ここから「回廊」へ向かいたいと思います![]()
「拝殿」前へ戻ります![]()
拝殿を向かって右に進むと『神馬』さまが迎えられます![]()
明るい表情です![]()
『神馬』さまの正面を進むと「回廊」になります![]()
「回廊」の入口に《南隋神門》があります![]()
朱色の門が「国指定重要文化財」の南隋神門になり
くぐると「回廊」になります![]()
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「回廊」の先からのご紹介は次回に続けさせて頂きます![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
つづく


























