今回は【野島神社(のしまじんじゃ)】のご紹介です![]()
御朱印はこちらです![]()
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書き置きをいただいてきました![]()
※常駐されていませんので、拝殿に数種類の御朱印を
準備されています!
【野島神社】
宮崎市大字内海に鎮座します![]()
御祭神 御利益![]()
御由来
文安三年(1446)田口久次が創立したその棟札に
『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平
殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣
並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽
よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る』とある。
また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。
明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社
堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。
伝説(縁起)
野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。
それは、天歴三年(949)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者
この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが
久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。
ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。
尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
また、浦島子伝及び扶桑略記載には
『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』
とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。
※社伝より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を![]()
鳥居から![]()
奥に「拝殿」が見えます![]()
くぐった右手に「手水舎」があります![]()
お清めし「拝殿」へ![]()
小さめの朱色の社殿です![]()
階段の上にお賽銭箱が見えますが、並びに御朱印があります![]()
参拝させていただきます![]()
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境内には「御神木」があります![]()
ご説明があり、子受け祈願の御神木『夫婦あこう』
とあります![]()
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二本の「あこうの木」が並んでいます![]()
また「拝殿」向かって右手には 《国の天然記念物のあこう》が![]()
根っこがたくさん下がっています![]()
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「子安神様」(子安観音さま) ![]()
お社の周辺は南国の植物でいっぱいです![]()
「石碑」![]()
「道陸神」![]()
三つの石碑が寄り添っています![]()
【野島神社】は、日南海岸沿いにあります。
野島神社に伝わる500年の伝統を誇る神楽、それが「野島神楽」です。
宮崎市の民俗芸能第1号として登録されています。
海幸・山幸伝説に出てくる潮の神:シオツチノオオカミを祭神とし
浦島太郎伝説も残るなど、海と関わりの深い野島神社で舞われる「野島神楽」には
野島地区の漁師さんの大漁旗が腰帯として用いられています。
また、子宝に恵まれると名高い舞も含まれており、毎年全国から人が集まります。
※社伝より抜粋
この『野島神楽』のお写真がのっている御朱印をもう一種類![]()
向かい側の奥には海が広がります![]()
浦島太郎伝説や「伝統の野島神楽」のある【野島神社】
また是非参拝させていただきたいと思います![]()
ご覧いただきありがとうございました![]()
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