今回は【甲宗八幡神社(こうそうはちまんじんじゃ)】のご紹介です
御朱印はこちらです
前回いただいた御朱印になります
※授与所にて書いていただけます
【甲宗八幡神社】通称…甲宗八幡宮
北九州市門司区旧門司に鎮座します
御祭神(八幡三神)
第一殿
応神天皇(おうじんてんのう)
第二殿
神功皇后(じんぐうこうごう)
第三殿
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)
多紀津比売命(たぎつひめのみこと)
御利益
勝運・安産・厄除け・交通安全など
御由来
清和天皇の貞観元年(859年)大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教が
九州で最も霊験あらたかな豊前国の宇佐八幡宮(宇佐神宮)に参拝しました。
宇佐八幡宮は大陸文化の影響を受け、新しい文化圏をもつ神で、地方神としては
伊勢神宮についで朝廷の信仰を最も受けていました。
行教は神前に額ずき「桓武天皇は都を平安京に遷させ給うてより(平安遷都)
五十年以上も経過したが、未だに王城鎮護の神はなし。
願わくば神慮が我に降って、守護神を教え賜え」と祈念したところ
「吾れ都近く(山崎離宮のあった男山)移座して国家を鎮護せん」
とのご神勅を受けました。
そこで翌年の貞観2年(860年)清和天皇は太宰大弐の清原真人岑成を
勅使として派遣。勅使の旨を受けた行教は、畏んで宇佐八幡宮のご分霊を
山城国(京都府)にお遷しする(石清水八幡宮の創建)途中
門司関の霊峰筆立山(大宮山)の山麓に滞在しました。
するとその時、筆立山上空に瑞雲(めでたいことの前兆として現れる雲)がたなびき
不思議なことに八流(やながれ)の幡(はた)を天降(あもり)して、光り日月のごとく
行教の袈裟を照らしました。
行教は「大神の出現疑いなし」と上申し、この地に宇佐八幡宮の御分霊を祀り
神功皇后御着用の御甲を御神霊(御神体)として外朝西門鎮守門司八幡宮
(後に甲宗八幡宮)を創建しました。
「御甲をご神体として祀ることから甲宗と称すようになる」※社伝より抜粋
ここからは写真と一緒にご紹介を
「一の鳥居」から
くぐった左手に
《本居宣長翁歌碑》
「海の外 おきつ千しまも 天皇の 御稜威かしこみ いつきまつろふ」
と詠まれています
階段を上がると「二の鳥居」があり
上がって左手の「手水舎」でお清めを
拝殿前を見ると、初詣の時期で多くの方が参拝されています
「拝殿」へ
中でも御祈願が
参拝させていただきます
拝殿前の両側には
『北隅楼』
都市の平安神宮の東西に立つ
蒼龍楼・白虎楼などと同じく風水に基づいて建立されたものです。
五行説では北方は玄武という霊獣によって守護されていると言われます。
『南隅楼』
五行説では南方は朱雀という霊獣によって守護されていると言われます。
小さい鳥居が
くぐれない様です
『南隅』左手の奥には
中には入れませんが《平知盛卿墓・供養塚》があります
源平合戦で平家の将帥として名高い平知盛卿(1152~1185)が葬られた
と伝わる墓と供養塚。
卿は平家随一の武将として源氏方を大いに苦しめましたが
武運拙く敗れついに壇ノ浦に入水されました。
その最期は「平家物語」や能の「舟弁慶」などで盛んに描かれています
階段を下りた左手には
《筆立山稲荷神社》
「宇加之御魂神」が祀られています
境内には『能舞台』もあります
その他、境内には石碑や銅像などがありますが
今回のご紹介はここまでになります
また参拝させていただきご紹介出来たらと思います
ご覧いただきありがとうございました