今回は【天之御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)のご紹介ですニコニコ

 

 

御朱印はこちらです音譜下矢印

前回いただいた御朱印になりますおねがい

※授与所にて書いていただきます

 

御朱印帳もいただきました下矢印

素敵な御朱印帳ですおねがいラブラブ

 

表紙の裏面には印が押されています下矢印

鳳凰なども見えます上矢印目

 

 

【天之御中主神社】《妙見神社(みょうけんじんじゃ)

 

鹿児島市宇宿町に鎮座しますビックリマーク

 

御祭神 

天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

 

相殿神 

市杵島姫命、大己貴命、少彦名命

 

 

御利益

厄除・八方除・安産・病気平癒・学業上達・受験合格・商売繁盛・交通安全など

 

 

御由来

妙見神社は藩政時代には妙見廟として、薩摩の名社として伝えられ

およそ八百年の昔、正治年間(鎌倉時代の初期)薩摩の人々を苦しみより助け
福寿増益を計る為に紀州那智山よりお迎えしております。

三国名勝図会巻十九等によれば妙見廊、地頭館より子の方一里許
宇宿村にあり例祭一歳六度、其の中十一月二十六日を正祭とす。

 

紀州那智山より護下り今の地に鎮座す、恕翁公(第七代島津元久)の命によりて
応永年中、福昌寺より祭田寄附(神領九石)あり、今に其の祭田を以って祭供を奉るとなり
當廟は霊験特に明らかなりとて、都鄙の人常に信詣す、とあります。

 

当社においては島津初代忠久公の薩摩入国の時、鎌倉から背負って奉齊したという記録と
同じく初代島津薩摩入国の時、和歌山県紀州那智山から護下って鎮座したとの記録がありますが
古い文献等を照らし合わせてみると、おそらく紀州那智山からの勧請ではないかと思われます。
薩摩国宇宿村で鎮座されたのが、およそ八百年前、その後、島津七代元久の時
応永年間(1394~1427)大体今から六百年前、元久公の命により祭田(神領九石分)を寄附
(現在は残っていない)されたようであります。    
※社伝より抜粋

 

 

ここからは写真と一緒にご紹介をニコニコ

鳥居から下矢印

12月はじめの参拝でしたので秋の景色ですおねがい

 

鳥居の両脇は「仁王さま」でしょうか目下矢印

 

 

 

社殿へ進みますビックリマーク

 

右手に立派な「クスノキ」があります下矢印

 

 

 

進むと社務所(授与所)があり下矢印

 

「手水舎」へ下矢印

お清めしますおねがい

 

「拝殿」へ下矢印

建物がありますので横からの写真ですニコニコ

 

 

拝殿前の「狛犬さま」下矢印

 

柔らかなお顔だちですおねがいラブラブ

 

 

参拝させていただきます照れキラキラ

 

「拝殿額」下矢印

 

 

境内には末社「塞神社」下矢印

 

『ご説明』があり

古くは道祖神祠と呼ばれ猿田彦神・八衢彦神・八衢姫神・道返神・鬼子母神・五柱の神

を祀り、往古は郡元との町境にあったとされ、疱瘡神とも呼ばれ
宇宿郷中に病気が入り込むのを防いだ神様でもあり、古くより庚申供養でも名高く

子孫繁栄、病気平癒、子育て、縁結びの神様として著名とありますビックリマーク

 

 

「白龍稲荷神社」下矢印

 

 

 

また社務所の隣には下矢印

「祖霊殿」
氏子崇敬者の皆様の納骨堂を兼ねた祖霊社。とのこと
目

 

 

縦長く綺麗にされた境内には、末社もあり

ゆっくりと参拝させていただきました照れキラキラ

 

また是非伺いたいと思いますニコニコ

 

 

 

ご覧いただきありがとうございました音譜音譜