■違いと距離感

違いが豊かな社会を構成していることは、

様々な商品やサービスを選択できる社会を改めて見ることもなく明らかだと思います。

社会的距離(外的距離)を持った関係性においてはとても便利で豊かです。

見方を変えると経済的関係性を挟んでコミュニケーションする上でとても便利で助かります。


もう少し近い距離で見た場合はどうでしょうか。

例えば、社内に於ける上司や同僚との関係、

また、地域自治、隣人、友人知人、恋人、家族等との関係性で見た場合、

自分の内面に対し相対的に触れる密度が増して行き、

個人的距離(内的距離)が近づいて行きます。


内的距離が近いことにより違いがネガティブに現れた場合、

前回見ました様に、その影響も濃く現れると考えられます。


都市化が進んだ社会では、核家族化が進んできました。

最近はもう少し進んで「お一人様」と呼ばれる人々や、

結婚しない人々、また、年を重ねてからの離婚や死別による独居老人、

また、仕事ではSOHO(Small Office Home Office)やアフィリエイトの増加、新興。

「孤独化」「個別化」「個性化」と言えば良いのでしょうか?


単純には語れませんが、一面には濃密な距離感から離れてきた過程とも言えると思います。

経済的豊かさや社会的利便性を獲得することで、

さほど助け合わなくても大丈夫な社会であるが故に、

ともすれば煩わしく感じてしまう関係性を排除して来たとも言えます。

「ALWAYS 三丁目の夕日」のような感性は、

ノスタルジーの中だけになってしまったのかも知れませんね。


卑近な例で恐縮ですが、私が小学生低学年の時のクラスメートに、

大きな食品会社の社長の息子さんがいました。

彼の家に遊びに行ったとき、慣れないリビングでくつろいでいたのですが、

小学生高学年の彼のお姉さんに向かって、彼が、

「貸したお金はいつ返してくれるの!」と強く言いました。

するとお姉さんは一旦部屋に戻ってからリビングへ来て、

「そんなに返して欲しければ今返してあげる!」と叫んで、

彼に向かって10円玉1枚を投げつけました。

(当時の10円は今と価値が違うけどそれでも10円)


その光景を見て私は呆然としたのを憶えています。

我が家は貧乏だったので、彼の家が立派だったこともあり、

お金持ちになるとこうなってしまうのか、

とまるでドラマのワンシーンを見ている気分でした。

貧乏な我が家では考えられないお金に対しての行動でした。

子供ながらにとても醜く感じました。


でも、物が溢れる現代に生活している今の自分も、

知らず同じような感性になっているのではないかと省みる必要性を感じます。




話が少しずれましたが、見方を変えれば個性の尊重であり、

自由性の獲得へと向かっていると言えます。

ただ、リアルな生活では距離と時間に影響を受け、他者との関係も限定されてきます。

悪くすると「孤独化」してしまう可能性もあります。


携帯電話の普及やメールコミュニケーションの増加などは、

「自由化」と「孤独化」のバランスをとって行く行動とも見て取れるかもしれませんね。



■違いを生かす距離感

社会的にも個人的にも違いが豊かさとなってより生かされるファクターとして、

距離感が重要な位置を占めているのではないかと思います。


「個人」と「個性」の豊かさと自由性が、

「社会」と「社会性」の豊かさと自由性に一体化することがとても重要と思います。


「個人」と「個性」の豊かさと自由性の希求と追求が、自己中心的な独善性ではなく、

ネットワークの距離感によって総体的な発展性となれるのでしょうか。


相対的に見てより良くと言う視点でもあります。

ネットワーク性が万能と言うことは出来ませんが、

SOHOやアフィリエイトが成立するのも、ネットワークパワーが大きな働きとなっています。

発展性や収益性を求めて、社会的活動、社会的距離感に於いて個人レベルでも違いを気にせず繋がることが出来ます。

同時に、同じような感性や趣味を持った人々や同じような立場の方々とも、

経済性を抜きに時間と距離に影響されず繋がることが出来ます。


ネットワークパワーによる社会的活動の構成比重を高めつつ、

大きな意味での家族、こころの家族としてのパーティー(グループ)を、

緩やかに築き構成して行くことも出来るのではないでしょうか。