扁平乳首で飲みにくいおっぱいだったうえに娘の口が小さく、最初の1ヶ月は搾乳とミルクの混合だった娘。
だんだんおっぱいから吸うことができるようになった娘は、生後1ヶ月半ばあたりからほ乳ビンを全力拒否するようになってしまい、今は完全母乳です。
そんな話を保育園にしていたら、保育園入園にあたりミルクを飲めるようにしておいてほしいと話がありました。
ほ乳ビンでなくても飲めればそれでよいとのことだったので、ストローマグで試したところ、ものすごいイッキ飲み。
ミルクの味ではなくほ乳ビンの吸い口が苦手だったようです。
そんな一連を旦那に話していた時のこと。
「やっと直接飲めるようになったなんて話していたのに、まさかミルクの練習をする日がくるとはね」
とポロリと呟いた私に、旦那がこう返しました。
「母乳でいけるようになったのは、最初の1ヶ月、苦しみながら搾乳を頑張ったからでしょ」
あの1ヶ月、帝王切開の傷は痛いし搾乳は大変だし娘は寝なくて泣いてばかりだし、本当にしんどかった。
今思えば、自分のリズムではなく「3時間おきに搾って飲ませなきゃ」という親の事情で起こされたり寝かされたりしていたのだから
娘が怒るのは当然の話だったんですが、当時の私はそこに気づく余裕もなく、週に1度は号泣していました。
あまりに泣いてばかりの娘を布団に叩きつけたくなったこともあるほど不安定でした。
今では笑い話にできるような出来事ですが、当時は必死だった私。
実家に帰省していた私と娘のもとへ毎週末通ってくれた旦那は、当時は何も言いませんでしたがそんな私をきちんと見ていてくれたようです。
この一言で、あの頃の自分が報われたような、救われたような気分になりました。
育児って、重労働の割に誰かに認めてもらうことが少ない任務だと思います。
だからこそ、認めてもらえた時の喜びはとてつもなく大きいんだと感じることができた出来事でした。