癌にはいろいろな治療法がある。いわゆる三大治療以外にも、癌に効く、と謳われている治療は数多い。

  三大治療以外の治療を代替療法、と捉えたとき、「思いつく代替療法を挙げてみて」と言われたら、いくつ思いつくか、、あまり詳しくない私でも、10個くらいはすぐに挙げられそうだ。

  三大治療を施す医師が、代替療法を批判したり、反対に代替療法を施すことを生業とする医師や、様々な職種の人が、三大治療を批判したりする図式は時々見られる。

   私は、自分が癌患者になってみて、双方の見解をより多く目にするようになり、、どうしてこのような状況が生まれるのか、について、たびたび考えさせられた。1番大きな原因としては、「癌治療に絶対はない」というのが背景にあるような気がしている。

  癌治療において、普通の病院の医師たちからは、「標準治療とは、血の滲むような臨床試験を重ねに重ねて立証された、『標準』という名が勿体ないくらいの『特上』の治療だ、だから、標準治療である三大治療を避けて代替療法をするのは間違い、、。」、のような主張をよく目にする。一方で、代替療法優先派の人たちからは、「三大治療は、身体へのダメージが多大で、癌そのものよりも、治療により亡くなってしまう可能性を高める。」などという主張を目にすることもある。

   私に言わせれば、、、どちらも、、不完全な治療について、、お互いがお互いの不完全さをバカにし合っていて、、なんかなあ、、という感じだ。。どちらの主張も、「癌治療自体が本質的にもっている不完全さ」、、について、棚の上に上げすぎなのでは、、、という感じを抱いてしまう。。

  そもそも、三大治療が特上の治療なら、なぜそれをわざわざ避ける人がいるのか。。やはりそれは、標準治療は、いかに「特上の治療」、といったところで、「不完全な治療」であり、「100パーセント完璧な治療法ではない」からではないか、と思う。当たり前のことだが、、標準治療、とは、統計上は、「治癒の可能性が高まる」という数字があるだけで、「自分がそれを選んだら必ず治る」という保証は一切ないのだ。。。

   さて、こういう、「100パーセントの治癒の保証はない」、、という状況の中で、三大治療の不完全さや、身体への多大なる害や副作用の数々をあれこれ主張される、、というのは、、患者にとって、かなり酷なことのような気がする。これらの主張には、抗がん剤の副作用など、一面的には真実で、本当だ、と思える要素があるから、余計にそう思う。

  およそ、人間のやることというのは、、医療に限らず、すべてが不完全なものであるから、、局所を切り取り、拡大して論じれば、すべて破滅的な様相を呈してくるものであるが、、、、三大治療を批判する人たちもまた、三大治療のもたらす害を、切り取り、拡大して、悪しき面を強調して論じているので、当然ながら、「人類の血と汗の結晶」と言われる標準治療の数々も、彼らの手にかかると、すべてが破滅的様相を呈して見えてきてしまう。。。。標準治療にもともと不信感を抱く人にとって、破滅的様相を呈する治療法について説かれると、「こんなもの、、特上の治療どころではないばかりか、治療ですらない。。私は受けたくない。」、、と思う人が出てきてもおかしくはないだろう。。

  注意が必要なのは、三大治療を批判する人たちは、あたかも、「三大治療を超える視点に立っているかに見える」ため、、それ以上の効果がある治療を施せる力があるかのような錯覚を、、患者さんに抱かせてしまうのではないか、、というところだ。少し考えればわかるが、どれほど三大治療を上から目線でバカにしようが、、その人たちですら、それを超える「完全な治療」など、到底できはしないのだけれど、、、、。それに彼らは、三大治療の不完全さは批判するけれど、なぜか自分たちのやっていることの限界や、不完全さについてはあまり言及しないし、、自分たちの不遜さ、傲慢さにも、気づいてないことのほうが多い。。。それでも、そのことに気づかない、気づきたくない癌患者はたくさんいる。。「なるべく肉体的なダメージを避けて、癌治療に希望を見出したい」と思う人にとっては、、彼らの主張は、かなり頼もしく、不完全な三大治療を避ける価値は、十二分にあるように見えてしまうのかもしれない。

   標準治療を絶対化する人も、三大療法を否定して代替療法推進する人も、、それもこれも、、やっぱり、どちらも、自分たちがやっていることの不完全さを認める謙虚さが足りてないことが、、混乱を産む原因なのかもしれない、、と思わされる。。代替療法をやれインチキだと批判したり、三大治療の害を説いたりするのは、私にも簡単にできそうだし、実際ものすごく簡単だけど、、、、、米原万里さんの本を読んでみて、そもそも、標準治療も、不完全という意味では、、まだまだ発展途上の、、未熟なものなのだ、、という前提を認めることは、標準治療に不信感を抱く患者さんの気持ちを理解する上では、とても大切なことなのではないか、、、、と思うようになった。何せ、、米原万里さんみたいな、、ものすごく博識で、飛び抜けた頭脳を持った人ですら、、、治療の選択に踏み迷うのだ。。多くの人が、標準治療のレールに乗って、それを受け入れている、というのは、本当はすごいことなのかもしれない、と思うようになった。それまで、健康に、元気にやっていた普通人が、、突然癌になって、完全ではない癌治療に普通に向き合う、、ということは、本当はとても難しいことなのかもしれない、、とも思うようになった。またまた、長い前フリになってしまいましたが、次こそは、、米原万里さんが、渾身の力で遺してくれた、貴重な治療の道筋を私なりに、、辿ってみたい、、と思います。。


                                                  〜つづく〜